「1日で66%忘れる」は本当か?「エビングハウスの忘却曲線」の論文『記憶について』を読んでみた
「人間は1日たつと66%忘れる」という理論の根拠としてよく取り上げられる「エビングハウスの忘却曲線」。受験勉強などで聞いた人も多いかと思います。
ちょっとした疑問から、元ネタである論文『記憶について』を読んでみましたので、「論文の内容」と「エビングハウスの忘却曲線の本来の意味」についてまとめたいと思います。
この記事では、結論を優先して解説しているため、実験の背景や過程のデータなどを大幅に割愛して解説しています。詳細を確認したい場合は、元の論文である「記憶について―実験心理学への貢献」をご確認いただければ幸いです。
また、本記事中の「節約率」は、現在一般に復旧している表記に合わせたものです。日本語訳の論文中では「節約量」として紹介されています。
結論。『記憶について』と「忘却曲線」について
- 主に「節約率」についての研究だが「忘却量」についても研究されている
- そもそも「忘却量」の定義は、一般の「忘れる」とは一致しない
- 学習に使ったのは、主に無意味な音節
- この論文中では「忘却曲線」は登場しない(式は登場する)
- 被験者はエビングハウス1人
- 研究は140年くらい前に実施されたもの
- 研究結果は、おおむね「現在の学習に関する考え方」と一致
- 一夜漬けは効率が悪いことが明確になる研究結果
- 無意味な音節と有意味な音節では、学習速度が10倍違う!?
- 学習の効果は20年以上続く!?
- 研究の最大の貢献は「心理学(とくに記憶の分野)を哲学から解放した」こと
- 数学的・自然科学的な視点で心理学を研究する、当時としては新しい研究だった
それでは、詳細をまとめていきたいと思います。
「人間は1日たつと66%忘れる」の疑問
勉強について「人間は1日たつと66%忘れる」といったようなことをどこかで聞いたことがある人も多いかと思います。
しかし冷静に考えてみると「昨日の授業でやったことの66%は忘れた」などということは起こりません。仕事をやっていて「昨日の会議の内容は66%忘れました」なんて人がいたら「お前、絶対寝てただろ!」と、私なら思います。
そこでネットで詳細を調べてみたのですが…
という結果に。
Wikipediaでさえ、「忘却曲線」の記事では節約率(2度目以降の学習で、1回目よりどれだけ学習時間を縮められるか?)を表す曲線として紹介されているのに「ヘルマン・エビングハウス」の記事では学習した情報が失われていく過程を表す曲線として登場する始末。
調査してみると「忘却が誤解で、節約率が正しい」とする記事が複数見られますが、それだけでは説明できない程度に、忘却として扱っている記事や書籍が大量に…。
と思ったので、元となった論文「記憶について―実験心理学への貢献」を実際に読んでみました。
「記憶について―実験心理学への貢献」とは
念のため、入手方法から解説。去年はAmazonで中古がありましたが(かなり高額)、2020年5月2日時点では、在庫切れです。
そんなわけで、私は地元の図書館に依頼して、外部の自治体から取り寄せてもらいました。
さて、この「記憶について―実験心理学への貢献」ですが、実はかなり古い論文です。
日本語訳版が出版されたのも1978年と古いですが、本文で行われている実験に至っては1879~1880年と1883~1884年となっており、既に140年程度が経過しているというかなりの古典です。恒常性を示す数の例として「ある街かどの一日当たりの馬車」が登場するあたり、歴史を感じます。
本文は130ページ程度と、短めの本ではありますが、私はサル並みの知能しか持ち合わせていないため、理解に苦しみ、読破に丸1日かかりました。
エビングハウスの書いた忘却曲線の論文構成
論文は以下の構成になっています。()内は、章ごとの内容をわかりやすく私がまとめたものです。
- 第1章 記憶に関する我々の知識
(主に前提条件として、記憶について一般知識を解説) - 第2章 記憶に関する知識を広げる可能性
(主に自然科学的に記憶について測定するための前置き) - 第3章 研究法
(実際の研究に利用したモノや条件など) - 第4章 得られた平均値の効用
(実験の結果から、自然科学的に妥当な数値が得られているか) - 第5章 音節系列の長さの関数としての学習の速さ
(どのくらいの量を覚えるなら、どのくらい反復学習が必要か?) - 第6章 反復回数の関数としての保持
(反復学習の量と、1日後の再学習時間の関係) - 第7章 時間の関数としての保持と忘却
(何時間後の再学習であれば、どれだけ短時間で記憶できるか?) - 第8章 反復学習の関数としての保持
(毎日再学習を行った場合、記憶が早くなるか?) - 第9章 系列の要素の順序の関数としての保持
(学習対象を変形させた場合、どの程度再学習が簡単か?)
第1~4章までが一般知識や実験方法などの前置き。第5~9章までが、研究の結果とそれに対する考察という構成です。
この中で「忘却」について触れられるのは第7章であり、先に言ってしまうと、インターネット上でよく記事になっている部分は第7章です。
今回私がまとめた記事では、全体の流れや実験の意図がわかるよう、実験方法の第3章と、実験結果と考察に関する第5~9章について解説していきたいと思います(第1~2、4章は記憶に関する一般知識や、それを自然科学的に研究するための前置きなので割愛します)。
実験の前提条件・方法について
まずは実験の内容について簡単にまとめます。本文中だと第3章が該当します。
あくまで前提条件ですので、結果が気になる人は読み飛ばしてしまっても問題ありません。
暗記に利用したのは、主に「無意味音節」である
まず、この実験で利用したのは「無意味音節」というエビングハウスが発明した音節です。
定義を引用すると、以下の通りです。
それは、アルファベットのなかの簡単な子音と、11個の母音と2重母音とを用いたもので、2つの子音の間に1つの母音を置いた場合に生ずるすべての音節から成っていた。
こうして作られた音節の数は、およそ2,300ほどになるが、それをまぜ合わせてからデタラメに抽出して、いろいろな長さの音節系列を作り、さらにそのような音節系列を幾つか集めて、毎回一つのテスト材料を作った。
引用:記憶について―実験心理学への貢献
ようするに「意味のない短い音節」です。
無意味音節との比較として、「ドン・ファン」からとった詩の学習も登場しますが、基本的には全ての実験において、この「無意味音節」を組み合わせて作った、意味のない呪文のようなもの(実験では「系列」と呼ぶ)が学習対象となります。
ちなみに、無意味音節には、単に「意味がない」ということで、記憶のしやすいさに差をつけないだけでなく、組み合わせがほぼ無限といっていい量作れる点、学習量を適宜調整できる点でも利点があります。
できるだけ恒常な実験条件を設定
実験の多くは長期にわたるものになります。
また、人間の精神面を反映しやすい(集中力など)内容であるため、「できるだけ毎回同じような状況で実験するための条件」が必要となります。
実際に整えた条件をまとめると、以下の通りです。
- 系列(無意味音節を並べた学習対象)の読み方
どの系列も、常に初めから終わりまで一つも落とさずに通して読む。
系列の読みとその復唱は、毎分150拍という決まった速度で行う。
アクセントについては、不規則な変化を避けるために3つあるいは4つの音節を1つにまとめて、第1、4、7の音節をやや強く発生するか、第1、5、9の音節をやや強く発声する(アクセントなしで読み上げることは実際、不可能だった)。
そのほかの方法で声を強めることはできるだけ避ける。 - 再生(記憶できているかのテスト)について
難しい部分だけを反復学習したりはしない。
系列を読んだあとで、再生テスト(記憶できているかのテスト)をする場合、読みとテストの交代は自由で規則はない。
ただし、再生テストの途中で行き詰った場合、系列の残りを終わりまで読んでから、改めてテストを繰り返す。 - 実験の進行
1系列の学習が終わった後に、15秒間の休止をおき、その間に実験の結果を図表に書き入れる。
そのあと、すぐに続いて同じテストの次の系列に着手する。 - 集中力と環境
なるべく早く目標に到達できるよう、可能な限り注意を集中する。
また、あらゆる外部からの妨害を排除するための努力を行う(周囲の物を排除するなど) - 記憶術について
特別な記憶術は使わない(被験者であるエビングハウスは、記憶術についての知識をほとんど持っていなかったので、この点は問題ない) - 生活条件
生活条件を一定に保ち、精神および身体的状態をコントロールする。
とくにテストを行う直前の行動は一定に保つ。
内的な精神生活や外的生活条件に大きな変化が起こった場合はテストをしばらく延期し、テストを再開する前にはあらためて数日の訓練期間をとる(訓練期間は中断期間の長さに応じる)。
また、同じ実験は可能な限り1日の同じ時刻に行う。
実験の被験者は一人である
ここ、色々な記事で「被験者は…」などと記載されていたので、気づきませんでしたが、実は被験者は一人。論文の著者「ヘルマン・エビングハウス」本人が単独で被験者となり、実施しました。
論文発表当時はこの点が批判される中心だったそうです。
とはいえ、論文中でも述べられていますが、非常に長期にわたり細かな条件をつけなくてはならなかったこと、精神面が実験に与える影響を極力排除する必要があったことなどもあるためか、被験者はエビングハウス単独となっています。
どのくらいの量を記憶するなら、どのくらい反復学習が必要か?
無意味音節を記憶する場合
第5章の内容は「どの程度の量の暗記を行うために、どの程度の反復学習が必要か?」についての研究結果です。
この研究では、まず12、16、24、36の無意味音節から成る暗記対象を、それぞれ9、6、3、2個の系列だけ作成し、最初に誤りなく再生(最初から最後まで読み上げられること)できるようになるまでに必要な反復の回数を求めました。
そして、その結果の平均値を、それぞれ系列数で割ることで「1つの系列(要するに、無意味音節のまとまり)を覚えるために必要な反復回数」を求めました。
…わかりにくいので一言でまとめると。
「どの程度の長さの無意味な音節を覚えるためには、どの程度の反復学習が必要か?」
を求めるための研究です。そして結果がこちら。
1つの系列にふくまれる音節の数 | 最初に誤りのない再生が行われるまでの反復回数 |
7 | 1.0 |
12 | 16.6 |
16 | 30.0 |
24 | 44.0 |
36 | 55.0 |
論文の表には確率誤差なども記載されていますが「おおむね妥当」ということで、この記事では省きます(以下の実験でも同様)。
研究が12音節以上なのに、音節の数「7」が登場する理由は、エビングハウスが1回読んだだけで正確に復唱できる音節数が7個だったから。7音節はたいてい再生可能でしたが、8音節を1回で再生できる確率はかなり低かったそうです。
表から、暗記すべき音節の長さの上昇に伴い、必要な反復学習が最初は急速に増えるが、徐々にゆるやかになることがわかります。ちなみに、36音節を再生可能になるためには、55回の反復学習が必要で、これは実験の条件からすると15分間にわたって精神を集中させる必要があるそうです。
また、上の表をグラフにすると以下のようになります。
上のグラフで、実線は実際の実験結果。点線は近似値を90音節まで延長した場合の曲線です。
有意味材料を記憶する場合
バイロンの「ドン・ファン」の英語の原著についても、エビングハウスはテストしています(ちなみに、エビングハウスはドイツ人です)。
内容は、学習量を変化させることなく、数節だけを切り取っての学習であったため、先の「無意味音節」の場合とは条件がややことなりますが、「必要とした反復の回数の傾向」を確認する意図で、エビングハウスは両者を比較しています。
テストは「詩の6節を最初に再生できるまで反復学習する」ものであり、その平均値は52回。各節が必要とした反復回数は約9回となります。
ここで、各節が80音節からなるものとすると
- 無意味音節で80~90音節覚える場合:約80回の反復(近似値から推定)
- 有意味材料(ドン・ファン)で80~90音節を覚える場合:8回の反復
となるので、エビングハウス個人のデータではありますが、「有意味材料の暗記にかかる反復回数は、無意味音節の1/10程度」となります。
反復学習の量と、1日後の再学習時間の関係
第6章の内容は「どの程度の反復学習をやっておけば、1日後に同じ内容を学習した場合、どのくらい短時間で学習できるか?」を実験しています。
テストとしては、以下の通りです。
- 16音節の無意味音節を6系列作成する
- 個々の系列をある回数だけ読み込む
- 24時間後、その系列を最初に再生できるまで再学習する
この方法で、「何度も学習した内容の場合、24時間後に何回学習すれば、再生可能に達するか?」を求めます。
結果としては、当然「事前に多く学習した方が、24時間後に短時間で再生可能になる」ということになりますので、詳細な値の表は割愛します。
この実験で重要なことは「1回の反復による平均節約時間」です。
ようするに「事前に1回学習すると、24時間後の学習で平均何秒時間が節約できるか?」です。
私が驚いたのは「事前学習が8、16、24、32、42、53、64回の反復回数の場合で、すべて1回あたりの平均節約時間がほぼ同じ値になった」というところ。
つまり、前日に頑張って勉強すれば、その分に比例して翌日に効果が発揮されるということです。
また、この実験の範囲では、事前の反復回数と節約時間の関係から「3回反復学習すれば、24時間後の学習では、1回の反復学習を節約できる」という結論になっています。
ただし、本人(エビングハウス)の感覚としては「反復回数が多い場合、明らかに、その残効が想起などとともに生じており、反復回数が少ない場合には、状況の早期が欠けている」とのこと。原因は不明ですが、連想可能な暗記の場合には、反復回数が多い方が有利に働く可能性もあるかもしれません。
反復回数を決定的に多くした場合の効果
「事前の反復学習を多くしていけば、いずれ反復学習不要で思い出すことが可能になるラインが来るのでは?」と、論文を読んでいれば誰でも思うはずです。
エビングハウスもその点は研究しています。
しかし、実際に行ってみると、反復回数の増加に伴って、先の節約効果(24時間前に3回反復学習すれば、1回分を節約できる)が妥当しなくなってくることがわかりました。
回数を重ねていくと、徐々に反復学習の効果は低減していきます。
この結果は、その後に同様の研究を行った際も、同様だったそうです。
そして、「24時間前に反復したのでは、再学習に必要な残存作業量を全部なくすことは、非常に困難なことであった」という結論に至ります。
現代的(?)な言い方をするなら「一夜漬けは危ない」という結果とでもいえるかもしれません。
何時間後の再学習であれば、どれだけ短時間で記憶できるか?(エビングハウスの忘却曲線)
第7章。これが有名な「エビングハウスの忘却曲線」の内容となります。
実験の内容が「忘却」でないことに違和感を感じるかと思いますが、これが本来の論文の内容です。そもそも論文中では「エビングハウスの忘却曲線」という名称や曲線は登場しません。
そもそも「忘却(忘れる)」とは?
冒頭の「第26節 保持および忘却の説明」でも解説されていますが、前提条件として「忘却」をどう定義するかが研究においても難しかったようです。論文が誤解される一因にもなっています。
エビングハウスはこの「忘却」やその過程などの現象について、直接的に計測することを以下のように記述しています。
たとえば、ある観念の不明瞭さが、ある度合いに達したことを、どうやって決定するのだろうか。また、残存している断片的な観念の数を、どうやって、きめたらよいのか、それがわからない。あるいは、ほとんどまったく忘れられてしまった観念が、ふたたび意識に立ち帰らないとすれば、その時の内的体験の過程を、どうやって追及したらよいのか、わからない。
引用:記憶について―実験心理学への貢献
つまり「忘却を直接計測することは不可能」といっています。
そこで、限られた範囲で間接的ながら計測するため、以下の方法を考案しました。
- 最初の学習にかかった時間を測定する
- 一定の時間が経過した後、同じ内容をもう一度学習し、その際にどれだけの時間がかかったかを測定する
- 両者の時間の差から「失われた記憶」と「残っている記憶」を数値化する
つまり、この論文における「忘却」は「昨日の夕食を忘れた…」という意味合いの「忘却」ではなく「再学習を行う際の節約できなかった時間=忘却」として、数値化しています。
論文の式を引用すると、具体的には「100ー節約率(再学習で何%勉強時間が減ったか)」の式で求めるものとなり、「忘却量」と呼びます(例:節約率40%とすると、100-40で、忘却量60%)。
つまり「忘却曲線においては、節約率も忘却量も登場する」こととなります。
実験内容
実験は、1879~1880年にかけて行われました。条件は以下の通りです。
- それぞれのテストは13の無意味音節を組み合わせた系列8個の学習からなっており(一部例外あり)、1度再生可能になったものを、一定時間の後に再学習を行う形式
- 1回目の再生可能になるまでの時間と、再学習で再生可能になるまでの時間を調べる
- 再生可能の基準として、間違いのない暗証が2回出来るまで続ける。
- 1回目の学習と、再学習の間の時間間隔は1/3時間、1時間、9時間、1日、2日、6日、31日の7種類
- 再学習を1日以内に行う場合、時間間隔については厳密に測定する
- 再学習を1日以上空けて行う場合、1日のうち10~11時、11~12時、18~20時の3通りに時刻を変化させて実施
- 再学習が同じ日に行われる場合、1回目の学習と2回目の学習を行う時間帯において、学習時間にどの程度の影響が出るかを考慮して修正を行う
- 1カ月をおいて再学習する場合、心身の変化の影響が大きいため、テストの回数は2倍
実験の結果
実験結果を平均の節約率に着目してまとめると、以下の通りになります。
1回目の学習からの時間間隔 | 平均の節約率 | 平均の忘却量 |
19分 | 58.2% | 41.8% |
63分 | 44.2% | 55.8% |
525分 | 35.8% | 64.2% |
1日 | 33.7% | 66.3% |
2日 | 27.8% | 72.2% |
6日 | 25.4% | 74.6% |
31日 | 21.1% | 78.9% |
これが有名な「人間は1日で66%忘れる」の根拠になっている部分です。
とはいえ、実験内容や「忘却量」の定義の通り、世間一般にいわれる「昨日何食べた?」というような問いに対しての忘却ではありません。
ちなみに、節約率については一定の法則があり、7種類とも以下の式に近い値となります。
それぞれの値については以下の通りです。
- t=1回目の学習が終わる1分前から数えた時間(単位は分)
- b=節約率
- c=1.25(定数)
- k=1.84(定数)
この式を使って期間を延長してみると
- 1年後:節約率は約17.2%
- 10年後:節約率は14.5%
- 20年後:節約率は約13.9%
- 50年後:節約率は約13.1%
- 100年後:節約率は約12.5%
という結果になり、人間の中では、一度学習した記憶が、かなり長期にわたって生き続けることとなります。
現実的には、期間が長期化するにつ入れて数値が式からずれていくと思いますが、実際エビングハウスは22年の空白を開けての再学習を実施した場合も、節約率の効果があることを認めることができたそうです(その内容は、この論文の本文中には出てきません)。
ただし、結果についての考察の中で、この結果が、常に他人にとっても同様に適用されるとまでは結論付けていないことを、以下のようにエビングハウスは記述しています。
特殊な状況で、ただ一度、私を被験者にして発見された結果を、手短に述べたものにすぎない。だから、この結果が、別の状況で、他の人たちを被験者にした場合にも、別の常数によって示されうるような、より一般的な意義をもつものなのかどうか、現在の私には確信することはできない。
引用:記憶について―実験心理学への貢献
時間帯による節約率・忘却量について
この実験では、時間帯による節約率、忘却量の変化については、明確な傾向はみられませんでした。
一方「根本的に学習に何秒かかったか?」については、明確な傾向があり「18~20時の学習が最も時間がかかる」という結論です。
その差は多いときで約4割。あくまで「疲労がたまり、集中力が落ちてきている時間帯」という意味合いが大きいかと思いますが、夜の勉強の場合はこの点に注意をした方がいいでしょう。
毎日再学習を行った場合、記憶が早くなるか?
私が現実的な学習に、おいて最も重要だと思うのがこの研究。「忘却量」を取り上げる記事は多いのですが、何故かこっちの研究の紹介はほとんどされていません(恐らく、インパクトのある数値化がされていないからだと思います)。
この研究では「24時間ごとに再学習を繰り返した場合、節約率はどうなるか?」を実験しています。
詳細な実験内容については割愛しますが、結果から以下の表が求められています。
1系列の音節数 | 再生可能までに要した反復回数の平均 | |||||
1日目 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | 5日目 | 6日目 | |
12 | 16.5 | 11.0 | 7.5 | 5.0 | 3.0 | 2.5 |
24 | 44.0 | 22.5 | 12.5 | 7.5 | 4.5 | 3.5 |
36 | 55.0 | 23.0 | 11.0 | 7.5 | 4.5 | 3.5 |
ドン・ファンの1節 | 7.75 | 3.75 | 1.75 | 0.5 | (0) | (0) |
ドン・ファンの1節が、約80音節と考えると、やはり有意味の場合の学習速度はかなり早く、節約率も高いことがわかります。
また、節約率については、音節数が多いものほど高い数値を示しており、少なくとも無意味音節に関する限りでは「短い音節は容易に暗記できるが、より長く困難な暗記ほど、一度定着させると効果は高い」ということになります。
毎日学習か? まとめて学習か?
「毎日再学習した場合」の研究結果について、先に行った「前日の学習を多くした場合の研究結果」と比較すると、興味深いデータが出てきます。
それは「同じだけの節約率の効果を出すなら、毎日学習を行った方が、まとめて学習するより短時間ですむ」ということです。
無意味音節12個をつなげた物を学習する場合を例とします。
先に解説した、「反復回数を決定的に多くした場合の効果」では、前日の学習を約68回行った場合、24時間後には約7回の反復学習で、間違いのない復唱ができるようになっています。(回数は平均値です)。
一方、1日ごとに繰り返し学習した場合の研究では、4日目には6回の学習で間違いのない復唱が可能になっており、その間の学習は38回です(こちらの回数も、もちろん平均値)。
つまり、1日でまとめて学習するよりも、3日にわけて毎日学習した方が、はるかに効果が高いことになります。
とはいえ、このようなことはエビングハウスが論文を執筆していた1884年頃でも、教育としては当たり前に認識されていた話。一言でいえば「一夜漬けは勉強時間が増えるからやめよう」ということになります。
学習対象を変形させた場合、どの程度再学習が簡単か?
最後の9章については「覚えた無意味音節を変形させた場合、どの程度記憶に影響するか?」に関する研究です。
現実的な学習においては非常に使いどころが難しいため、あまりじっくりとは紹介しませんが、参考までに解説します(研究結果は、当時の「接近および直接的連続の法則」を批判する上で重要な内容でした)。
この実験では、16の無意味音節を組み合わせて作った系列を用います。
更に、作成した系列について、〇音節飛ばして系列を再構成し、残った音節を更に後ろに〇音節飛ばしてくっつけるという作業によって、系列の改変を行います。
例えば、もとの音節が
①②③ …… ⑭⑮⑯
の場合は
①③⑤ … ⑮②④⑥ … ⑫⑭⑯ (1音節飛ばし)
①④⑦ … ⑯②⑤ … ⑭③⑥ … ⑨⑫⑮ (2音節飛ばし)
といった具合で改変します。
更に、音節を逆順にする、逆順にして1音節飛ばすという系列も作り、学習速度の変化を実験しました。要するに以下のように改変されます。
⑯⑮⑭ …… ③②① (逆順)
⑯⑭⑫ … ④②⑮⑬ … ⑤③①(逆順で1音節飛ばし)
元の系列を学習し、24時間後に改変した系列を学習する場合における節約率をまとめると、以下のようになります。
1音節飛ばし | 平均10.8%の節約率 |
---|---|
2音節飛ばし | 平均7.0%の節約率 |
3音節飛ばし | 平均5.8%の節約率 |
7音節飛ばし | 平均3.3%の節約率 |
逆順 | 平均12.4%の節約率 |
逆順で1音節飛ばし | 平均5%の節約率 |
もちろん、これはエビングハウス個人の結果であり、暗記対象も無意味音節であるため、普段の学習にそのまま当てはめることは難しいかと思います。
しかし、研究の結果からは、無意味な音節を入れ替えた場合でさえ、人間はそれらを関連付け、学習を容易にする能力が備わっていることがわかります。
結局『エビングハウスの忘却曲線』とは何だったのか?
論文について熱く語ってしまいましたが、結局『エビングハウスの忘却曲線』とは何だったのか。結論を端的にまとめます。
- 被験者はエビングハウス1人で導いた式
- 忘却は「同じものを2回目に学習した時に、1回目と比べて短縮できなかった時間の割合」として求められる数値
- 66%忘れるのは、無意味な音の連なりを暗記した場合
- エビングハウスの忘却曲線(の式)が他人にも適用されるかは不明と、本人も認めている
- 論文中に忘却曲線はでてこない
- 忘却曲線を正しいとすると、理論上100年先でも12.5%は覚えてる
- 結局は「繰り返し学習って大事だよね」という話
結局『記憶について』を私達はどう活かすべきか?
ここまで「記憶について―実験心理学への貢献」の内容を一通り解説しましたので、その内容をまとめていきたいと思います。
一番重要なところが「この論文から学んだことを、実際の社会でどう活かせるか?」です。私がまとめると、このようになります。
- ドン・ファンの詩の一節と、同等の量の無意味音節では、ドン・ファンの詩は10倍速で学習できた
→物事は関連付けや意味づけを行って暗記した方が効果が高い - 事前学習を数回~数十回行った場合、翌日の再学習における効率は学習回数に比例する
→ある程度の回数までなら、学習は努力に比例する - 事前の反復学習が多すぎる場合、その効率は徐々に下がる
→膨大な量の学習を行っても、100点になるとは限らない(とくに前日にまとめて学習した場合) - 再学習における勉強時間の節約効果は、1日経過した後ゆるやかになる
→1カ月前に勉強したことでも、試験勉強に効果はある - 勉強における定着は、時間帯による影響をあまり受けないが、集中力が下がる時間帯では根本的に勉強時間が長くなる
→重要な勉強・仕事は、体力の余っている午前中や休憩後の時間を利用して終わらせる - 一度にまとめて学習するより、毎日学習した方が短時間で高い勉強時間の節約率となる
→1夜漬けするなら、同じ時間を分散して学習した方が効果が高い
こうやってまとめてみると、現在の教育や学習方法としては当たり前のものばかりです。とはいえ、それらを数値や数式を用いて表したところに、一連の研究は価値があると思います。
ちなみに、論文の本文中ではありませんが「Dover版のための序」と題された前書き部分によると、エビングハウスがドン・ファンの詩の数節を覚えたのは30代の頃。その後、エビングハウスはその詩を読んだことがありませんでしたが、22年後に再学習したところ、学習時間が節約されていたとのことです。
結局『記憶について』をどう解釈するべきか?
「忘却」ではなく「思い出す(節約)」が中心
まず「1日たつと66%忘れる」で有名になってしまった「記憶について」の実験ですが、ここまでの解説の通り、あくまでこの論文は「思い出すこと(その際の節約率)」が中心となっています。
忘却量が登場するのは、第7章のみで、その忘却量も「節約率から求める数値(100-節約率)」のような位置づけです。
数値はあまりあてにしてはいけない。傾向でとらえるべき
そもそも「1日で66%忘れる」の「66%」という数値は全くあてにならないことがわかります。
理由としては、以下の2つ。
- そもそも暗記したものは無意味な音節の羅列(ドン・ファンの有意味な詩では、節約率が高いという実験結果もある)
- 被験者はエビングハウスのみ(他人も同程度になるかは不明)
ただし「記憶については、こういった傾向がある」という意味ではこの研究は意義があります。
「1度学習したことは、再学習の際は長期で役立つ」「1回にまとめて勉強するより、分散して毎日勉強した方が短時間で効果が上がる」などは、知っていて損がないでしょう。
ヘルマン・エビングハウスの真の貢献
エビングハウスの論文で、彼の研究結果から求められていることは、以下のような一般に知られていることが多いです(本人も論文中で何度か指摘しています)。
- 繰り返し学習すれば、ものごとはしっかり覚える
- 一夜漬けするより、数日にわけて学習したほうが良い
- 膨大過ぎる勉強量と、正解率は比例しない
では、エビングハウスの研究は、いったいどう役立ったのか?
実は、この論文のサブタイトル「実験心理学に貢献するための研究」というものがついています(和訳版だと「実験心理学への貢献」に若干修正されています)。
エビングハウスが研究していた当時、「心理学を科学的に扱い、哲学から解放しよう」とする時代の流れがありました。その中で、エビングハウスは実験心理学を実施し、心理学が哲学から独立して科学になるための基礎を築き上げた実験心理学者の一人でした。
彼は、数学的・自然科学的な視点に立ち、量的に、また客観的に「記憶」という分野の研究に取り組むことで、従来のような内観による証言に依存した研究から脱却することに成功しました。
『エビングハウス心理学』の冒頭には、心理学書に度々引用されている、以下の言葉があります。
心理学は長い過去を有する。しかし、その歴史は短い。
エビングハウスは心理学、とりわけ記憶に関する分野を、独立した科学とする上で非常に大きな貢献をした人物といえるでしょう。