東京都慰霊堂(横網町公園)の観光情報と、実際に観光した感想
この記事では「東京都慰霊堂の概要と、東京都慰霊堂を実際に訪れた際の感想」を中心にまとめます。
「東京都慰霊堂に興味がある方」「両国駅周辺を観光予定の方」などの参考になれば嬉しいです。
「東京都慰霊堂」の基本情報
- 営業時間:9:00~16:30(1月2日・3日は10:00~15:00)
- 休館日:12月29日~1月1日
- 見学料金:無料
- 所要時間:5~20分程度(堂内に震災や東京空襲に関する10分ほどの動画があります。これを観なければ5~10分ほどです)
- その他:3月10日と9月1日は春季秋季慰霊大法要が行われます。また、堂内にある「ゆめ供養・はな供養」は供養料1回300円(詳細はこちら)。
※詳細は変更の可能性もあるため、訪問前には公式HPなどの情報をご確認ください
「東京都慰霊堂」とは?
東京都慰霊堂は、簡単に言えば「関東大震災と東京空襲で亡くなった方々のご遺骨を納めた慰霊堂」です。
元は「震災記念堂」という名称で、関東大震災で亡くなった約58,000人の遺骨を納める慰霊堂として、最も被害の大きかった被服廠跡に1930年に建てられました。
当初は震災記念堂の中に、震災に関する展示も行われる予定でした。しかし、1929年に開催された「帝都復興展覧会」の膨大な資料を展示するスペースが必要となったため、慰霊堂の建つ「横網町公園」内に、「東京都復興記念館」が付帯施設として建設され、資料はこちらに展示されています。
後に、東京空襲で亡くなった方々のご遺骨も慰霊塔に納められたため、1951年には名称が「東京都慰霊堂」と改められました。震災と戦災を合わせたご遺骨は、約163,000体にもなります。
外観は神社仏閣の様式を思わせる建物ですが、内部はインド風の様式や、教会建築の様式(バシリカ式)の要素も自然に取り入れられており、特定の宗教には属さない施設となっています。
「東京都慰霊堂(横網町公園)」へのアクセス
住所は「東京都墨田区横網2丁目3−25」です。
最寄り駅は、都営地下鉄大江戸線の両国駅で、徒歩2分ほど。また、JR両国駅からだと徒歩10分ほどの距離です。
車で訪問する場合、公園には駐車場がありませんので、近隣の有料駐車場を使う事になるかと思います。
「東京都慰霊堂(横網町公園)」を実際に観光してみた(所要時間35分ほど)
2023年9月1日は、関東大震災から100年の節目になります。
ということで、震災関連の施設に興味を持ち「東京都慰霊堂」を訪問してきました。
東京都慰霊堂(所要時間20分ほど)
上の写真は「東京都慰霊堂」の正面。100年の節目の為、建物前に「二〇二三年 関東大震災一〇〇年」と書かれた標識が建っていました。
私が訪れたのは土曜日でしたが、法要なども行われていなかった為、ほとんど見学者はいませんでした。毎年、関東大震災で9月1日、東京空襲で3月10日に法要が行われるため、そのタイミングは混雑するかと思います。
慰霊堂の裏側には、慰霊塔が建っています。ご遺骨は約163,000体納められているそうです。
慰霊堂の入口には、とくに受付などもなく、入場料は無料です。
堂内の順路は一方通行になっています。壁沿いに反時計回りに進む流れです。
混雑時にスムーズな移動ができるよう、一方通行になっているのかと思いますが、私が訪れたのは休日日中帯でしたが、ほとんど無人のような状況でした。
慰霊堂内は上の写真の様な感じ。色合いや天井などは神社仏閣のイメージではありますが(とくに天井と祭壇)、柱の建ち方はバシリカ式を意識しているそうです。個人的には、椅子がイギリスで観てきた教会っぽいと感じました(後ろの方の席の狭さとか)。
慰霊堂の入口から右側の上部には、震災関連の絵画が展示されています。
反対の慰霊堂入口から見て左側。こちらは東京空襲の写真が展示されています。
出口前にはガイダンスビデオがあります。ゆっくり見ている人はほとんどいませんでしたが、10分ほどで当時の状況と、慰霊堂などの歴史が解説されています。椅子もありましたので、観光で歩き疲れていたら、ここで休憩してもいいかもしれません。
横網町公園(所要時間15分程)
「東京都慰霊堂」が建つ「横網町公園」も、震災と戦災の記録を残し、慰霊するための公園です。園内には、震災・戦災関連の追悼碑などがあります。
今回は、折角なので慰霊堂を見学した流れで、横網町公園を15分程かけて見学してみました(園内にある「東京都復興記念館」は、別途45分ほどかけて見学しました)。
こちらは、園内にあった案内看板。公園の見どころなどが表示されていますので、とりあえず写真を撮っておいて、場所の確認ができるようにしておくと便利です。
慰霊堂前にある「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」。こちらは、ある程度の期間ごとに植え替えが行われています。私が訪れた際は、公園の隣に立つ「安田学園中学校」の生徒さんによるデザインになっていました。ちなみに「安田学園中学校・高等学校」も2023年で創立100周年でした。
「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」のすぐ近くには、震災中に流布したデマで犠牲になった朝鮮人を追悼する「朝鮮人犠牲者追悼碑」がありました。震災直後は「朝鮮人や社会主義者が暴動をたくらんでいる」というデマが流れ「亀戸事件」や「甘粕事件」などが発生し、朝鮮人のほか、中国人や日本人も虐殺されました。
ちなみに、この追悼碑近辺には9月1日の式典の日にはヘイト団体が度々来るらしく。2023年も問題になっていたそうです(幸い、私の観光時には穏やかでした)。
こちらは、慰霊堂前の反対側にある「震災遭難児童弔魂像」。関東大震災では、小学校児童約5,000人も犠牲になり、その冥福を祈るために寄付を募って建てられました。
上の写真は、震災遭難児童弔魂像の近くにある「幽冥鐘と鐘楼」。この鐘は、関東大震災の死者を追悼するために、中国の仏教徒から寄贈されました。震災を知り、当時の中国では杭州西湖の招賢寺と、上海麦根路の玉仏寺で念仏法要が営まれたそうです。鐘は、中国国内で鋳造され「杭州→上海→横浜」と経由し、1925年に横網町公園まで運ばれました。
公園内には日本庭園があり、その東屋の近くに近隣町会の震災戦災追悼碑が移設されていました(上の写真)。
碑文には、震災後の火災による被害状況などが書かれており「石原町では町民約8,000人のうち、約7,000人が亡くなった」などと記されており、当時の被害状況を把握できる史料にもなっています。
園内にある「東京都復興記念館」の隣には、「震災記念屋外展示場」があります。ここには「溶けて原型の無くなった釘の塊」などが展示されており、当時の火災の凄まじさが伝わってきます。
上の写真は、ボディが焼失してしまい、シャーシだけになった自動車。ちなみに、この自動車は車両番号第一号で、銀座の明示や商店で使用されていました。
横網町公園は「震災と戦災の記録を残し、慰霊するための公園」となっていますが、地元の人が日常的に過ごせる場にもなっています。慰霊堂前の辺りは「健康づくり広場」の標識が建っていました。
復興記念館前には、大きなスペースで「子どもの遊び場」も作られており、親子で遊びに来ている人も多く見られました(記念館を訪れる人よりも、むしろ公園で遊んでる人の方が多かった気がします)。
「東京都慰霊堂」の周囲の観光情報
「東京都慰霊堂」を訪れるのであれば、公園内の「東京都復興記念館」は見学しても損は無いかと思います。入場料無料でありながら、じっくり見学すれば1時間くらいはかかるボリュームで、関東大震災と東京空襲の歴史を学ぶことができます。
また、徒歩10分ほどの範囲には「両国国技館」「刀剣博物館」「すみだ北斎美術館」などがあります。「刀剣博物館」と「すみだ北斎美術館」については、入場券がお互いの割引券にもなるため(当日のみ有効)、興味がある方は両方一度に訪れてみてもいいでしょう。