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「武田神社」の観光情報と、実際に観光した感想

山梨旅行【国内】神社仏閣

この記事では、「武田神社」の観光情報と、実際に観光した感想をまとめます。

武田氏ゆかりの地に興味がある方」「山梨県甲府市方面を観光する予定の方」などの参考になれば嬉しいです。

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「武田神社」の観光情報

観光情報

  • 営業時間:宝物殿は9:30〜16:00
  • 休館日:水曜日(祝日や長期休暇の際は変動あり)、年末年始は1週間ほど休館の可能性あり
  • 見学料金:宝物殿は大人300円、小中学生150円
  • 所要時間:境内の散策と宝物殿見学だけなら30~60分ほど。

※詳細は変更の可能性もあるため、訪問前には公式HPなどの情報をご確認ください

「武田神社」とは?

武田神社とは、簡単に言えば「武田信玄公を御祭神とし、大正時代に躑躅ヶ崎館跡(武田氏館跡)に建てられた神社」です。

歴史的には、1519年に武田信虎が居館である躑躅ヶ崎館(武田氏館)を建て場所で、周囲には城下町が作られ、晴信(信玄)・勝頼の三代にわたって栄えました。1582年、武田氏滅亡後もしばらくは政治的中心地となっていました。1600年頃には居館が破却されました。

しかし、武田信玄を慕う山梨県民は明治期に入っても多く、地租改正の際に武田時代に作られたとされる税制(実際には起源不明)を廃止しようとした際は、大きな反対運動も起こりました(山梨県庁は県民の武田信玄への感情を悪化させるため、一時期新聞で信玄を悪人とする論説の掲載したほど)。そんな中、明治期には武田信玄を祭る神社を作ろうという機運が何度も高まります

そして、1915年(大正4年)大正天皇のご即位に際し、信玄に従三位が追贈されたのを契機に、山梨県知事を総裁とする「武田神社奉建会」が設立。1919年(大正8年)には社殿が竣工され、信玄の命日にあたる4月12日に、初の例祭が行われました。

御利益としては、信玄は「甲斐の国の守護神」「産業・経済の神」とされるため、「勝運」や「開運・商売繁盛・金運」などとされています。また「勝運」は勝負事に限らず「人生そのものに勝つ」「自分自身に勝つ」といった内容も含まれます。

文化財としては国指定重要文化財である「太刀 銘一(吉岡一文字)」があり、また境内にある「躑躅ヶ崎館跡(武田氏館跡)」は国指定史跡になっています。

「武田神社」へのアクセス

住所は「山梨県甲府市古府中町2611」です。

公共交通機関を利用する場合、JR甲府駅(北口)から、「武田神社行」か「積翠寺行」のバスに乗ると8分ほどで到着しますJR甲府駅までは、JR新宿駅からだと約1時間半(特急あずさ)~1時間45分(特急かいじ)になります。

また、自動車で訪問する場合は、神社の西側に武田神社参拝者用の駐車場があります。使用時間は9:00~16:00で料金は無料です。

「武田神社」を実際に観光してみた(所要時間30分ほど)

15:20頃、武田神社に到着。この日は、後で「甲斐善光寺」まで行く予定だったので、駆け足ぎみの観光になりました。

神橋

武田神社の入口
武田神社の入口

武田神社正面に架かる橋が「神橋」です。

武田神社周囲の堀
武田神社周囲の堀

上の写真の通り、神社の正面には大きな堀があります。居館として利用されていた際は、更に大規模な堀になっていて、居館全体が囲われていました。

武田神社から甲府駅の方向を眺めたところ
武田神社から甲府駅の方向を眺めたところ

橋を渡って、階段の上から神橋方向(神社の正面)を撮影したもの。真っすぐに伸びる道路は「武田通り」と呼ばれ、ここを歩いていくとJR甲府駅までたどり着きます(ただし、徒歩だと30分くらいかかります)。

太宰治の愛でた桜

「太宰治の愛でた桜」の看板
「太宰治の愛でた桜」の看板

拝殿までの間に、「太宰治の愛でた桜」の看板がありました。

太宰は、武田神社から甲府駅の途中の住宅街(現:朝日五丁目)に住んでいた時期があり、そこで執筆活動を行っていた太宰は、武田神社の例祭と境内の桜について『春昼(しゅんちゅう)』という作品で描きました。そういった意味では、武田神社は太宰治のゆかりの地でもあります。

ちなみに、作中で登場する祭りは毎年4月12日に行われるもので、信玄の命日にあたります。現在でも、その日に例大祭が行われ、また「武田二十四将騎馬行列」などのイベントも行われますので、4月12日は武田神社の観光には向いている日です。

武田神社の拝殿

武田神社の拝殿
武田神社の拝殿

こちらは武田神社の拝殿。平日の観光でしたが、参拝客が絶えない状況でした(人を入れず撮影するのが大変でした)。

拝殿前の奉納品
拝殿前の奉納品

正面の左右には、巨大な絵馬などの奉納品が飾られていました。

ちなみに、本殿までは柵などで近づけない構造になっています。写真は遠くからであれば撮影できない事もないですが、あえて近づけないようにしているため、撮影しない方が無難かなと思います。

甲陽武能殿

甲陽武能殿
甲陽武能殿

拝殿の付近にあった「甲陽武能殿」。「甲陽」とは、武田氏の軍学書「甲陽軍艦」から引用されたもので甲斐の国の輝く様を表した言葉です。

行事の際は、ここで舞踊が披露され、2023年5月27日には、武田信玄公 御神忌450年『第17回武田の杜薪能』が開催されました。

宝物殿

宝物殿
宝物殿

こちらは、武田神社の宝物殿の外観。

宝物殿の看板
宝物殿の看板

中では、武田氏ゆかりの品々が展示されており太刀 銘一(吉岡一文字)」は、国指定の重要文化財にもなっています。

水曜日は基本的に休館。開館時間は9:30~16:00。館内の写真撮影は基本的に禁止ですので、訪問の際はご注意ください

躑躅ヶ崎館(武田氏館)跡

武田神社は、躑躅ヶ崎館(武田氏館)の跡地に作られたというだけあり、多くの史跡も残されています

躑躅ヶ崎館(武田氏館)跡の解説図
躑躅ヶ崎館(武田氏館)跡の解説図

こちらは、境内にあった躑躅ヶ崎館(武田氏館)跡の解説看板。史料から描かれた、当時の居館としての配置図もあり、現在の構造と比較して、史跡を楽しむことができます。

信玄公御使用井戸
信玄公御使用井戸

こちらは、実際に信玄公が利用したとされる館中心部に掘られた井戸

この他にも、いくつかの古井戸が残されており、「姫の井戸」は信玄の息女が誕生した際に、産湯に利用されたそうです。

武田氏館跡大手
武田氏館跡大手

こちらは、境内から出て南東の正面にある居館の大手(表口)です。

現在は何もない様な状態ですが、居館正面の防御設備である「大手石塁」や「三日月堀」などが発掘調査で見つかっています(とはいえ、やはり現在は何もないので、子供たちが走って遊ぶ広場になっていました)。

武田氏館 西曲輪跡
武田氏館 西曲輪跡

こちらは、武田神社の西側にある「西曲輪跡」。この他にも、曲輪跡や虎口跡がいくつか残されており、境内にあった居館の地図と組み合わせると、当時の居館の構造を感じます。

みその橋
みその橋

西曲輪跡から、境内の外に抜ける「みその橋」。写真は、境内の外側から撮影しています。

こちらからも神社に参拝にいけるのですが、ここを通り抜けている参拝客は見かけませんでした。

「武田神社」周辺の観光スポット

今回、30分ほどで素早く武田神社を観光しましたが、古い史跡を見るのが好きな方なら、神社の外も含めて居館の跡を散策してみても楽しめるでしょう。健脚な方でも、全体で1時間くらいはかかるかと思います。

また、神社の正面には「甲府市武田氏館跡歴史館」、少し離れて徒歩15分ほどの場所には「武田信玄公の墓」、周辺には武田二十四将の屋敷跡もあります。歴史・史跡好きで武田氏ゆかりの地を巡りたい場合は、神社周辺だけでもじっくり楽しめるでしょう。

また、武田氏滅亡後に築城された甲府城(舞鶴城)も、100名城に数えられるものの一つで、主要な観光スポットになっています。甲府駅からも近いため、公共交通機関での観光にも向いています

ちなみに、私は「武田神社」を訪れたあと、信玄ゆかりのお寺である「甲斐善光寺」を訪れました。こちらは武田神社から車で10分ほど、甲府駅からバスと徒歩で20分ほどです。