馬籠宿の観光情報と、実際に観光した感想
この記事では「馬籠宿の概要と、実際に馬籠宿を訪れた際の感想」を中心にまとめます。
「江戸時代頃の町並みを楽しみたい方」「木曽路十一宿を観光予定の方」などの参考になれば嬉しいです。
「馬籠宿」の観光情報
- 営業時間:いつでも入れます(主な施設である藤村記念館・馬籠脇本陣史料館は9:00~17:00営業)
- 定休日:なし(主な施設である藤村記念館は12~2月の水曜、馬籠脇本陣史料館は不定休)
- 見学料金:なし(主な施設である藤村記念館は大人500円、学生400円、小中学生100円。馬籠脇本陣史料館は大人300円、学生100円)
- 所要時間:どれだけ建物に入るかで大きく異なります。私は宿場を往復しつつ、「藤村記念館」「清水屋資料館」「永昌寺」を見学し、昼食をとって2時間ほど。
※詳細は変更の可能性もあるため、訪問前には公式HPなどの情報をご確認ください
「馬籠宿」とは?
馬籠宿とは、簡単に言えば「木曽路十一宿の一つにも数えられるにあたる中山道43番目の宿場で、江戸時代の町並みが残されている伝統的な町の一つ」です。
木曽路十一宿の中では南端にあり、妻籠宿の隣に位置します。1843年時点では、宿内の家数は69軒で、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒があり、江戸時代には参勤交代で多くの人が行き交いました。
1895年と1915年の火災により、江戸時代からの町並みの多くは焼失しましたが、傾斜地であったこともあり大規模な開発が行われることはありませんでした。1970年代以降に石畳や水車などの江戸時代の町並みが復元され、一般の家も表札以外に昔の屋号をかけるなど、現在でも江戸時代を感じさせる町並みが残されています。
『木曽路はすべて山の中である。』で始まる「夜明け前」の作者、島崎藤村の故郷としても有名です。島崎家は馬籠宿の本陣を代々運営していました。本陣は「夜明け前」の舞台としても登場した島崎藤村の生家で、現在は「藤村記念館」として見学ができるようになっています(日本遺産にも登録されています)。
ちなみに、他の木曽の宿場と同様に、かつては長野県にありましたが、2005年の山口村の越県合併により、現在は岐阜県中津川市に編入されています。
「馬籠宿」へのアクセス
馬籠宿中央あたりにある本陣の住所は「岐阜県中津川市馬籠4256−1」です。
公共交通機関では、近くの駅は中津川駅または南木曽駅で、そこからバスで25分程。ただし、バスの本数が限られているため注意が必要です(本数の多い中津川駅側からでも1時間に1本ほど)。
この他、東京や名古屋からであれば高速バスが出ています。深くルートを考えずに移動したい場合は、高速バスの利用を検討してもいいでしょう。
「馬籠宿」を実際に観光してみた(所要時間2時間00分ほど)
馬籠宿の町並み
13:00頃、馬籠宿の北東(坂の上)にある駐車場に到着。
坂の上には「陣場上展望台」があり、馬籠宿が見えるだけでなく、恵那山などの山の風景が見渡せます。
ちなみに「陣場」の名前は、小牧山の戦いで、家康方が馬籠城を攻めるために、ここに陣を敷いたことに由来します。馬籠城は木曾氏の支城で、当時守備していたのは秀吉方についた島崎重通(島崎藤村の祖先)でした。家康方連合軍の勢力に対し、島崎重通は妻籠城に逃げ、そこで家康方を撃退したとされています。
展望台側から馬籠宿に向かうと、入り口前に高札場跡があります。設置されているものは江戸時代の物を復元したもので、1711年の記録がベースになっています。
道の左右には多数の飲食店・お土産屋があり、平日にもかかわらず観光客も多くて活気にあふれていました。
ちなみに、宿泊施設もいくつかあるので、江戸時代の旅人の様にここで一泊して次の宿場を目指すこともできます。
枡形部分には、かなり大きな水車もありました(写真ではサイズが分かりにくいですが)。ただの観光スポットではなく、実際にこの水車で水力発電も行われているそうです。
ちなみに、枡形とはあえて道を二度直角に曲げ、道に直線でない部分を作る事で、敵が進行することを妨げるようにした構造です。
枡形や水車の他、細かな観光スポットとしては、道の途中に阿弥陀堂もありました。また、宿場からやや外れますが、中山道を更に坂の下側の方向へ向かうと「馬籠城跡」や「夜明け前」の主人公のモデルとなった「島崎正樹」の記念碑もあります。
藤村記念館(馬籠宿本陣)跡
馬籠宿の中でも主要な観光スポットが「藤村記念館」。ここは島崎藤村の生家で、馬籠宿の本陣跡です。また、江戸時代には本陣の他、問屋・庄屋を兼ねており、島崎家によって代々運営されてきました。
1895年の大火で一度焼失しましたが、1947年に地元の人々により復元され、1955年には「島崎藤村宅跡」として県の史跡指定を受け、2020年6月19日に日本遺産である「木曽路はすべて山の中〜山を守り山に生きる〜」に追加登録されました。
島崎藤村の生家というだけでなく、小説「夜明け前」の舞台としてもこの本陣が登場し、記念館の裏側からは島崎家の菩提寺である永昌寺のある森が見えます(施設の外から歩いてお墓まで行けます)。
敷地はけっこう広く、その敷地内に複数の建築物が立っており、それぞれの建物内で藤村関係の資料(作品原稿、遺愛品、周辺資料など)が展示されています(ただし、撮影は禁止でした)。所蔵されているコレクションは約6,000点で、常設展示室を一巡すると、藤村の生涯を辿れるような形になっています。
万福庵 永昌寺(島崎家の菩提寺)
坂道の途中の脇道から宿場を抜け、藤村記念館の裏にある森に向かうと、そこに「万福庵 永昌寺」があります。
ここは島崎家の菩提寺で、「夜明け前」では「万福寺」の名前で登場するお寺です。ちなみに木曽西国三十三ヶ所観音霊場三十二番でもあります。
島崎家の墓は、若干道路を外れた場所にあります。墓参りに行く場合は、看板を見落とさないようにしましょう。
お墓はいくつかありますが、島崎家先祖の墓の前には標識が立っています。「夜明け前」の主人公のモデルになった「島崎正樹」の墓は、写真の更に左側に進んだ先にあります。
こちらが、「夜明け前」の主人公、青山半蔵のモデルとなった島崎正樹の墓です。
正樹は島崎藤村の父で、幕末~明治の頃に活躍した平田派国学者で、火災に際して村内の困窮する民を助けるなどの貢献をしました。しかし、1878年に明治天皇の北陸地方巡幸の際に、憂国の建白を試みて叱責されるなど、度重なる挫折で精神を病み、永昌寺を放火し、1886年に島崎家の座敷牢で亡くなりました。
永昌寺では「坐禅体験」「精進料理」「宿坊」などが楽しめるそうなのですが、平日に訪れたためか誰もおらず、インターネット上でも予約方法などが見当たりませんでした。工事が行われていましたので、もしかしたら、一時的に観光客向けのサービスはお休みしているのかもしれません。
清水屋資料館
馬籠宿の坂道を下っていくと、枡形の前に「清水屋資料館」があります。ここは明治後期から大正時代の建築として、国の登録有形文化財にも登録されています。
清水屋資料館は、島崎家と親交が深かった馬籠宿役人の原家建物です。島崎藤村の「嵐」に登場する「森さん」は島崎藤村と親しかった清水原家の当主「原一平」がモデルになっています。
現在、建物なかでは、藤村に関する資料の他、江戸時代の貴重な資料が展示されていました。馬籠の文化・生活が垣間見える展示なので、宿場町の観光が気に入ったなら見学して損は無い施設だと思います。
また、建物内には藤村が『夜明け前』を執筆した部屋である「思学の間」も再現されています。小さめの博物館ではありますが、入館料も安い(執筆時点で、大人300円 小中学生100円)ので、藤村好きの方も一目見ておくことをおすすめします。
馬籠脇本陣史料館
「馬籠脇本陣史料館」も馬籠宿のみどころです。
ここには、「八幡屋」という屋号の脇本陣(本陣に次ぐ格の予備の宿泊施設)がありましたが、1895年の大火で焼失し、現在はその跡地に博物館が建てられています。
江戸時代に使用されていた家財・什器などの展示や、木曽路の文化や制度の紹介が行われており、「藤村記念館」や「清水屋資料館」と比べて、地元の歴史を中心に学べる施設となっています。
定休日は無く不定休になりますが、公式HPやX(旧Twitter)などの存在が確認できなかったため、訪問できるかは若干運が絡んでくるかなと思います。私は偶然休日にあたってしまい、内部の見学はできませんでした。
一応、若干ですが建物前にも歴史的な内容の看板がありました。上の写真は「木曽の五木」に関する制度の看板。だいぶ過激だな、尾張藩……。
「馬籠宿」周辺の観光スポット
馬籠宿を含む、木曽路の十一宿を巡るのであれば、お隣が「妻籠宿」です。妻籠宿も江戸時代の町並みが残された有名な観光スポットなので、歴史的な町並みが好きな人であれば、あわせて観光してもいいでしょう。
徒歩の移動の場合、妻籠宿までは2時間以上ハイキングすることになりますが、途中には「男滝女滝」などの自然の風景や、内部で休憩もできる江戸中期の建物の「一石栃立場茶屋」などもあります。足腰に自信があり、時間もとれるのであれば、中山道を歩いて当時の旅人の雰囲気を楽しんでみてもいいでしょう。
また、中山道を反対側に向かうと、中津川市の市街地側に辿り着き、44番目の宿場「落合宿」の本陣があります。ここは美濃十七宿で唯一現存する本陣で、原則毎週日曜日の9:00~16:00に公開されています。更に市街地を進むと、45番目の宿場「中津川宿」もあり、ここも江戸時代の情景が残された場所なので、あわせて観光してみてもいいでしょう。