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【史跡】旧乃木邸の一般公開に行ってみた

9月 18, 2023東京旅行【国内】古民家

この記事では「旧乃木邸の概要と、邸内の一般公開に参加した際の体験」を中心にまとめます

「旧乃木邸に興味がある方」「乃木駅周辺を観光予定の方」などの参考になれば嬉しいです。

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「旧乃木邸・乃木公園」の基本情報

観光情報

  • 営業時間:9:00~16:00 (普段は建物内部の見学不可)
  • 休場日:12月29日~1月3日
  • 見学料金:無料
  • 所要時間:軽く見るだけなら10~20分ほど。建物内部見学は20分まで。
  • その他:年に3回一般公開されています。過去の公開時期は、5月下旬、乃木夫妻の亡くなった9月13日前後、11月上旬でした。

※詳細は変更の可能性もあるため、訪問前には公式HPなどの情報をご確認ください

「旧乃木邸(乃木公園)」とは?

旧乃木邸とは「日清・日露戦争などで戦い、明治天皇を慕って殉死した陸軍大将乃木希典と妻の静子の邸宅地だった場所」です。乃木希典の遺言で、邸宅地は東京市に寄贈され、大正2年に公園となりました(現在の管理者は港区)。

建物の外は日中帯であればほぼ一年中公開されていますが、邸宅内部については年3回公開されています。内部には、当時の建築や乃木希典や妻の静子が利用していた道具などが展示されており、小規模ながら博物館としても見ごたえがありました(ただし、耐震の関係上2階部分は入室不可)。

公園部分はそれほど広大な敷地面積があるわけではありませんが、馬小屋や愛馬用の井戸、煙突(東日本大震災後、被災のため建物から分離された)、乃木家の祖霊舎などがあり、ゆっくり見て回れば10分以上は過ごせるかと思います。

邸宅は、ドイツ留学中にスケッチしたフランス軍隊の建物を模して、乃木希典自信が設計したと言われています。木造の日本瓦葺で、傾斜地を利用した地階、1階、2階の3階建ての建物になっています。現代の一般家庭から見れば、東京郊外に立っていたとしても広い邸宅ですが、当時の将官の住居としては質素な造りをしています。乃木希典の住居としての歴史的な価値だけでなく、明治期の和洋折衷建築としても貴重な建物です。

ちなみに、乃木希典は高校日本史レベルで登場する人物で、昭和天皇の教育係を務めた事でも有名歴史能力検定日本史2級レベルでも問題文に登場したことがあります(ただし、知らなくても正解できる問題でした)。人物の評価は当時から賛否両論あるものの、死後に「乃木神社」が建てられたり(旧乃木邸のすぐ隣です)、「乃木坂」にも名前を残すなど、多くの人から敬愛されていました。

    「旧乃木邸・乃木公園」へのアクセス

    住所は「東京都港区赤坂8丁目11−32」。

    最寄りである乃木駅につくと、ホームに看板があるので、それに従って向かえば出口から徒歩5分もかからない程度の距離です。

    自動車で訪れる場合は、旧乃木邸自体には駐車場がないため、近隣の駐車場を利用する事になります。

    「旧乃木邸」の一般公開に実際に訪れてみた(所要時間40分ほど)

    実は、私は旧乃木邸の存在を知らず、偶然通りかかったら一般公開されていたため、急遽見学させていただきました。

    旧乃木邸の外(乃木公園)

    旧乃木邸の門上の写真は旧乃木邸の門の前。私は初めて訪れた為、普段の様子はわかりませんが、Googleマップで観た限りでは門は閉じられており、提灯もありませんでした。旧乃木邸一般公開の看板全くの偶然ですが、一般公開されている3日間に遭遇し、しかも一般公開されている最後の時間帯に間に合いました。しかも、あと5分くらい遅れていたら、定員オーバーで見学できなかったというギリギリさです。

    案内図と入場券受付で見学を申し込むと、旧乃木邸内の案内図と入場券を貰えます。確実に訪問したい場合は、念のため早目に入場券を受け取っておくといいでしょう(私の際は、見学開始の10分前頃には入場券が無くなっていました)。入場券受け取ったら、時間までは公園内を散策したりして待ちましょう。

    乃木大将と辻占売少年像こちらは旧乃木邸前にある「乃木大将と辻占売少年像」。一家の家計を支えて働く少年に感銘した希典は、少年を励まし、当時としては大金である二円を渡したとされています。また、この少年は、この恩を忘れず努力し、後に金箔業で大きな実績を積んだと言われています。ちなみに、像は昭和43年に旧ニッカ池に立てられましたが、池周辺が整備された事に伴って移築されました。馬小屋の外観こちらは、旧乃木邸の近くにある馬小屋です。1889年に立てられた当時、母屋より立派であったことから「新坂の馬屋敷」と言われていました。馬小屋の内部

    馬小屋の内部。奥の壁がレンガ造りです。乃木希典は馬を大切にし、わざわざレンガをイギリスから取り寄せたそうです。

    旧乃木邸の煙突

    旧乃木邸の敷地に置かれている「旧乃木邸の煙突」です。元は、建物の上についていましたが、東日本大震災で被災した為、建物から取り外されています。現在、建物の上にあるのはこれのレプリカです。

    乃木家祖霊舎

    こちらは、門から邸宅の奥に向かった場所にある小社で、乃木家先祖とご令息との御霊を祀っている「乃木家祖霊舎」です。

    旧乃木邸の外観「乃木家祖霊舎」付近から撮影した乃木邸の外観です。位置としては1階につながっている表玄関の反対側になります。写真の中央右側に生えている黄緑色の葉を付けた高い気は「マッカーサーのハナミズキ」と呼ばれるもので、戦後マッカーサーが植樹したものです(乃木は、米国人従軍記者のウォッシュバーンの書いた『Nogi』で高く評価され、その本に感銘を受けたマッカーサーの父は、「乃木の様な軍人になれ」とマッカーサーを教育したとされる)。

    旧乃木邸の内部

    旧乃木邸の内部については、写真撮影は禁止となっています

    見学時間は20分と短めですが、邸内はそれほど大きくない為、20分でも十分見学可能です。ただ、一回の定員が20人に限定されるくらいのサイズなので周囲の人や物との衝突には注意が必要です(とくに廊下などの細いスペース)。こういった安全性の観点からも、写真撮影を禁止しているそうです。

    現地にあった「旧乃木邸平面図と断面図」の看板では、以下の様な構造になっていました。

    旧乃木邸平面図と断面図

    ちなみに、2023年9月12日~14日の旧乃木邸一般公開にあわせて、バーチャルツアーが公開されていました。

    見学用の入口は、階段を下って半地下になったような場所にあり、地階、1階、2階の3階建てになっています。3階部分は耐震の関係で公開されていませんので、興味がある方はバーチャルツアーでの見学をするといいでしょう。

    見どころについては、バーチャルツアーにも記載がありますが、地階、1階部分については、概ね以下の通りです。

    主な見どころ

    • 消火ポンプ(地階):正光社の正光式水槽付消火ポンプと呼ばれるもの。昭和初期に多く出回った。ちなみに、消火ポンプのある壁には、ダイヤルの無い古い電話がありました。
    • 台所(地階):当時の台所の様子がよくわかりますが、当時としては珍しい水道も引かれていました。
    • 女中部屋(地階):6畳程で出入口のある部屋。当時の女中部屋としてはプライバシーが確保でき恵まれた環境でした。
    • 静子夫人衣装・愛用品(1階):乃木希典の妻、静子夫人の衣装類。展示場所は衣装と愛用品で異なります。
    • 乃木大将軍服(1階):ドイツ留学から帰国したのち、就寝時以外は軍服を着ていたそうです。ただし、留学中は普通に洋服を着ていたそうです。
    • 大応接室(1階):旧乃木邸で最も広い部屋で、一階表玄関から直接入れる構造になっています。当時の大工から応接室と居住空間が近すぎる事を懸念されたと言われています。
    • 水師営会見の手術台(1階):日露戦争中に使用された手術台。この手術台があった民家で、乃木希典とロシアのステッセルの会見が行われ、テーブル代わりに使用されました。ちなみに、手術台は2台あり、もう一台は中国大連市水師営会見所で公開されています。
    • 乃木大将常用机(1階):乃木希典が使っていたとされる机。椅子のサイズが思ったよりもかなり小さかったので、現代人程身長は高くなかったのかもしれません(ネットで調べましたが、身長はわかりませんでした)。
    • 殉死の室(1階):乃木希典が居室として使用しており、1912年9月13日に、乃木希典と妻の静子が殉死した部屋。乃木希典の遺書の中に静子宛ての者があった事から、当初は乃木希典一人で自決する予定だったのではないかと言われています。

    また、見どころというわけではありませんが、トイレや洗面台などを見ていると、当時は水を好き勝手使えなかった事がよくわかります(現代の水道に慣れてしまうと、不便すぎて生活できる気がしない……)。

    旧乃木邸のお土産

    特に物が販売されているわけではありませんが、一般公開で配布されていた、ポストカード4枚と、大き目の「乃木邸カード1枚(全10種)」を貰えました

    ポストカードと乃木邸カード写真の中には、乃木邸内部のものもありました。乃木邸内部の写真撮影禁止なので、内部見学の記念には丁度いいかなと思います。

    周囲の観光情報

    旧乃木邸・乃木公園を訪れるのであれば、すぐ隣にある「乃木神社」にも足を運んでおくといいでしょう。

    その名の通り、明治天皇を慕って殉死した陸軍大将乃木希典と妻の静子夫妻の祀る祠として建てられた神社であり、2023年で創建から100年になります。

    祭神である乃木希典が「勝利」の神様とされることから、病気や己、さまざまな勝負事に打ち勝つという意味の込められた勝守」が販売されており、梅の花の時期には邪気を祓うとされる「梅香守」が頒布されています。

    宝物殿は小さいながらも、乃木希典に関する歴史的な解説や、殉死の刀などが展示されているため、明治頃の歴史に興味がある方であれば、訪れてみてもいいでしょう。

    9月 18, 2023東京旅行【国内】古民家