「飛騨大鍾乳洞&大橋コレクション館」の観光情報と、実際に観光した感想
この記事では、高山にある「飛騨大鍾乳洞&大橋コレクション館」の観光情報と、実際に観光した感想をまとめます。
「鍾乳洞の観光に興味がある方」「飛騨高山方面を観光する予定の方」などの参考になれば嬉しいです。
「飛騨大鍾乳洞&大橋コレクション館」の観光情報
- 営業時間:8:00~17:00(11~3月は9:00~16:00)
- 休館日:無休
- 見学料金:大人1100円、小中学生550円(アソビューなどで事前予約すると100円引き。高山市民無料。高山市民と同伴での割引もあり)
- 所要時間:30~60分。現地に足腰の強さに応じた60分での見学コース案内がありました。私は近くにあった両面宿儺パネル展なども見て50分。
※詳細は変更の可能性もあるため、訪問前には公式HPなどの情報をご確認ください
「飛騨大鍾乳洞&大橋コレクション館」とは?
「飛騨大鍾乳洞&大橋コレクション館」とは、簡単に言えば「大橋外吉が発見した大鍾乳洞と、発見者である大橋外吉の集めたコレクションの博物館の複合施設」です。
飛騨大鍾乳洞は、1965年に大橋外吉が発見し、観光できる日本の鍾乳洞の中では最も高い標高900mに位置しています。観光できる部分が全長約800mもあり、鍾乳洞を出て駐車場まで戻る際は「こんなに遠くまで来てたの?」と驚かされました。当然、幻想的な鍾乳洞は写真映えするスポットでもあり、「恋人の聖地」のサテライトにも選ばれています。
また、大橋外吉が集めたコレクションである「大橋コレクション館」も見ものです。コレクション点数こそ博物館としては少な目ですが、多様な文化・国から収集されており、象牙などの巨大で貴重も芸術品も圧巻です。が、なかでも二本の牙を持つウニコール(イッカク)の骨は一見の価値がありました。また、目玉である100.5kgの金塊は2007年に強盗の被害にあい、現在は取り戻した71.7kgとなって、犯人が溶解した痕跡が生々しく残った状態で展示されていました。
「飛騨大鍾乳洞」へのアクセス
住所は「岐阜県高山市丹生川町日面1147」です。
公共交通機関を利用する場合、電車でJR高山駅まで移動し、濃飛バスで「高山濃飛バスセンター」から「鍾乳洞口」まで30分ほど。そこから飛騨大鍾乳洞まで徒歩15分程ですが、シャトルバスを利用すれば3分程で移動可能です。
また、自動車で訪問する場合は、専用駐車場があります。JR高山駅からだと車で25分程です。
「飛騨大鍾乳洞&大橋コレクション館」を実際に観光してみた(所要時間50分ほど)
この日は「飛騨の里」「高山陣屋」「高山市政記念館」「飛騨高山まちの博物館」と、高山駅周辺を観光した後、奥飛騨方面から松本まで向かう流れで、途中にあった「飛騨大鍾乳洞&大橋コレクション館」を観光してきました。
大橋コレクション館
実は私は、「飛騨大鍾乳洞」を見に来たつもりだったので、鍾乳洞に入る前に「大橋コレクション館」という場所があったには、正直「?」と思いました。
誰だ、大橋って。
実は、飛騨大鍾乳洞は、大橋外吉が発見した鍾乳洞で、彼は古今東西の美術品・工芸品などの貴重なコレクションも収集していました。
その貴重な品々が展示されているのが「大橋コレクション館」です。
鍾乳洞目的で来た人からしたら、そんなものよりさっさと鍾乳洞を……と、思ってしまう所ですが、個人の所蔵品とは思えないような贅沢な品々が展示されていました。
流石に、展示数は個人コレクションですので、大規模な博物館には勝てませんが、一品一品はかなり貴重なみどころある品々です。
目玉でもある100kgを超える金塊は、2007年に一度盗難にあいましたが、その後71.7kgが取り戻されました。現在は、盗難被害による金塊の傷跡も含めて見ごたえがあります。
また、芸術品ではありませんが、個人的には、二本の牙を持つウニコール(イッカク)の頭部の骨も驚きました。なんで鍾乳洞を見学に来たのに、鍾乳洞と関係ないこんな貴重なものが見られたのか。不意打ちですが嬉しい限りです。
ちなみに、大橋コレクション館内の写真撮影は不可ですので、ここで写真を掲載することはできません。訪れた際は、是非ともじっくりと鑑賞していってください。
飛騨大鍾乳洞
鍾乳洞に入る前に、大橋コレクション館と飛騨大鍾乳洞の見学に関する60分目安のコースが掲示されていました。
洞窟は「第1洞」「第2洞」「第3洞」に分かれています。最後の「第3洞」はとくに傾斜の厳しい階段もあるため、混雑時などは高齢な方だと厳しいと思います(ゆっくりなら、手すりなどもあるので登れる可能性はあります)。
もしも、足腰に不安がある人も含めて団体で観光する場合は、掲示板のコースを目安にして、最後に合流するのもいいかなと思います。
こちらは、入ってすぐの看板です。第2洞、第3洞も見ごたえがありますが、一応第1洞の入口から100メートルが最も美しいとされている場所です。足腰に不安がある場合は、無理せず第1洞だけ見学し、そこで外に出てもいいと思います(第1洞までであれば、比較的平坦です)。
こちらは、第1洞にあった「子宝地蔵」。洞窟内では、このように看板付きで鍾乳石の解説が行われています。
ちなみに、この洞窟が大橋外吉に発見された頃から、鍾乳洞の石が子孫繁栄のシンボルとして信仰される風習が生まれたため、この鍾乳洞は「子宝鍾乳洞」とも言われてきたそうです。しかし、まさか鍾乳洞の最後にあんなオチがつくとは、このときは思いませんでした……。
鍾乳石の解説以外にも、鍾乳洞の成り立ちに関する解説もあります。鍾乳洞内のウミユリやフズリナなどの化石から、この地域一帯は2億5千年前までは海だったと考えられるそうです。
こちらは学名「ヘリクタイト」と呼ばれる左右にねじれながら垂れ下がっている珍しい鍾乳石です。日本の観光鍾乳洞の中でも、ヘリクタイトはこの場所で最も多くみられるのだとか。
こちらは「宝船」に見える鍾乳石。言われてみると、船の先端部分の様な……。
ここは、とくに解説も何もなかったと思う部分ですが、奥の光に照らされて、幻想的な光景でした。
ここは日本酒・焼酎・ワインを長期間低温で保管できる「洞窟低温貯蔵庫」です。洞窟の環境を活かすことで、長期間一定の温度で保存すると、酒類はまろやかになるそうです。
ちなみに、飛騨高山では江戸時代以前から地酒文化が受け継がれてきたそうで、現在でも七件の造り酒屋があるのだとか。
こちらは第2洞にあった「国会議事堂」と「テンガロンハット」。うーん。わからんです。
洞窟の途中でウドの栽培もおこなわれていました。温度や湿度が一定に保たれることを活かした栽培方法で、また日光が当たらないことで、白くて長い高級食材の『軟化ウド』が栽培できるそうです。
こちらは、第3洞窟の出口近辺の案内看板。
第2洞までは、多少の距離を歩けて、軽い階段を登れれば移動可能ですが、第3洞には連続した急な階段があるため、足腰が弱い方は無理しない方が無難です。やや足腰が弱くても登れない事はないですが、混雑時は階段の途中で休憩も取りにくいので、周囲に気を遣ってしまうかとは思います。
上の写真は「ナイアガラの滝」です。ただ、看板があった部分にはあまり水が見られず、あまり近くに寄れないため詳細も分からず、具体的にどの部分がナイアガラの滝だったのかがわかりませんでした(近くに明確に滝になっている部分もありましたが、そちらは「幸福の滝」でした)。
キガシラコウモリが生息している場所がありました。私が訪れた際は、遭遇しませんでした。
こちらは「大仏の耳」と呼ばれる鍾乳石。洞窟内の鍾乳石で、一番名前の通りの印象を受けました。
第3洞の急な階段を登りきると「子宝神社」があり、ここでゴールです。
洞窟が発見された当時、鍾乳洞の石を子孫繁栄のシンボルとして信仰する風習が生まれ、結果、子宝鍾乳洞を象徴するシンボルとして総重量3トンの「日本一の男子宝物石器」を建立し、それを祀る神社として建てられました。
で、こちらが総重量3トンにもなる男子宝物石器。つまり、超巨大石棒です。
飛騨と言えば、遺跡から大量の石棒が見つかったという歴史もあり、「飛騨みやがわ考古民俗館」が石棒クラブを立ち上げたくらいですので、そういった意味では石棒に縁のある土地なのですが、「鍾乳洞を探検して、最後の最後でこのオチかよ!」って感じはありました(まあ、そういう間の抜けた感じは好きですが)。
ちなみに、飛騨大鍾乳洞は「恋人の聖地」でデートプランも紹介されていますが、プランには流石に巨大石棒は含まれていませんでした。若い学生カップルが幻想的な鍾乳洞を楽しみ、急な階段の苦難を乗り越え、そして最後に辿り着いたのが巨大石棒……だったら、なんとも言えない気まずい空気が流れそうな気がします(歳とってから、いい思い出にはなりそうですが)。
洞窟内で急な階段を上がったので当たり前ですが、洞窟の出口は山をすこし上った場所になります。
途中で、お土産屋や休憩用の飲食店などもありますが、駐車場の方まではけっこう距離があります。洞窟は全長800メートル。楽しく観光している間に、いつの間にか1km近く歩いていたことに驚かされます。
帰りの道の途中では、七福神の像や、イワナの泳ぐ水路も見られます。ちょっと距離はありますが、あからさまに退屈な帰り道にはならないよう、配慮されていました。
両面宿儺遥拝所
入場料を払って入る施設の外にはなりますが、直ぐ近くに「両面宿儺遥拝所」がありました。
ちなみに「両面宿儺」とは、仁徳天皇の時代の飛騨に現れた八本の手足と、前後両面に顔を持つとされる怪人で、『日本書紀』では大逆人とされていますが、岐阜県では毒龍退治や、神祭の司祭者、寺院の開基として伝わる豪族で、地域を中央集権から守った英雄とする伝承が残されています。
細かいことは、最早記録も残らない古代の話なのでわかりませんが、朝廷の勢力に従わない豪族、または従った後に反乱を起こした豪族が、両面宿儺として古代の記録に残されているのではとも言われています(ちなみに、宿儺は古墳時代における主なカバネの一つ。高校日本史なら「八色の姓」で出てくる「宿禰」で有名かと思います)。
近年では、両面宿儺は呪術廻戦で有名になったそうですが、不勉強なためそちらの方が把握できていません(早いとこ、そっちも読んでおきたいです)。
上の写真は「両面宿儺遥拝所」の入口。小さな祠です。
中には円空作の「両面宿儺座像」が祀られていました(千光寺の円空仏寺宝館にあるもののレプリカ?)。手足八本は見えませんが、顔は二つあります。
ちなみに、飛騨大鍾乳洞のある丹生川一帯は両面宿儺の伝承が残っている地域で、「両面宿儺の郷」として観光用のパンフレットもありました。
飛騨大鍾乳洞の入口前にある直径6.1mの鍋は「日本一宿儺鍋」と呼ばれ、「飛騨にゅうかわ宿儺まつり」で実際に使用されていました。
こちらは、飛騨大鍾乳の駐車場前にあった「両面宿儺パネル展」。入場料は無料で、現存する両面宿儺像や関連する史跡について、写真とともに伝承が解説されています。
丹生川にある「千光寺」と「善久寺」にも宿儺像が残っているので、気になる方は一緒に訪れてみてもいいでしょう。
「飛騨大鍾乳洞&大橋コレクション館」周辺の観光スポット
飛騨大鍾乳洞の駐車場近くに周辺マップがありました。
「JR高山駅」までなら車で25分程で、高山駅周辺には歴史的な町並みや、そこに残された史跡や、博物館などがたくさんあります(「高山陣屋」「高山市政記念館」「飛騨高山まちの博物館」「飛騨の里」など)。
車で1時間ほどの距離には、世界遺産にもなっている「白川郷(荻町集落)」もあります。周辺というには遠いですが、せっかくだから世界遺産まで行ってみたいという方であれば、足を延ばしてみてもいいでしょう。
また、こちらもやや時間がかかりますが「下呂温泉」「新平湯温泉」「福地温泉」「栃尾温泉」「平湯温泉」「新穂高温泉」など、温泉地も充実しています。ゆっくりと温泉巡りを楽しみながら、体を癒してもいいでしょう。