【美術検定3級】西洋美術関係の人物と作品を、暗記用にまとめてみた
この記事では、美術検定3級の問題集・テキストの要点を参考に「西洋美術関連の人物名を中心に、作品名・芸術の様式や運動を紐づけて暗記」できるよう、一覧にまとめ、Wikipediaなどのリンクを付けました。
「試験直前の実力確認に利用する」「人物名を赤シートで隠して暗記する」「美術検定3級で問われる内容を確認したい」など、試験対策に活用していただければ幸いです。
人物名は基本的に略称で記載してあります。また「主な作品」として紹介しているものは、問題集とテキストを中心に選んであります。
また、解説の少なかった人物は記載しておりませんので、実際の試験ではこの一覧外の内容も出題されます。合格のためには、テキストや問題集も利用することをおすすめします。
生没年については問われることは無いかと思いますが、人物の活躍した時代を想定しやすくするために表に加えました。
美術検定3級で出題が想定される主な画家と作品
人物名 | 生没年 | 備考 |
ブルネレスキ | 1377-1446年 | ルネサンス最初の彫刻家・建築家。世界遺産であるサンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ建設で賞賛を浴びる。透視図法(線遠近法)の発明にも貢献。 |
ギベルティ | 1381頃-1455年 | 初期ルネサンスの彫刻家。フィレンツェで活躍。工房からはドナテッロらを輩出。 |
ドナテッロ | 1386-1466年 | 初期ルネサンスの彫刻家。主な作品は『ダヴィデ』。 |
フラ・アンジェリコ | 1390/1395頃–1455年 | 初期ルネサンス期の画家。フラは「修道士」、「アンジェリコ」は「天使のような人物」という意味。主な作品は『受胎告知』。 |
アルベルティ | 1404-1472年 | 初期ルネサンスの建築家。『絵画論』を執筆。 |
マザッチョ | 1401-1428年 | 初期ルネサンスの画家。初めて正確な1点透視図法を絵画に取り入れた。主な作品は『聖三位一体』『貢の銭』。 |
マンテーニャ | 1431-1506年 | ルネサンスの画家。主な作品は『死せるキリスト』『結婚の間』。『結婚の間』はイリュージョニズム(だまし絵のようなもの)の先駆的存在。 |
ヴェロッキオ | 1435頃-1488年 | ルネサンス期の画家、彫刻家など。自身の工房からダ・ヴィンチ、ペルジーノ等を輩出。主な作品である『キリストの洗礼』は、ダ・ヴィンチとの共作で、他の弟子の手も認められる。 |
ラファエロ | 1483-1520年 | 盛期ルネサンスの画家、建築家。ペルジーノの弟子。聖母子像をモチーフとした作品で人気を集める。主な作品は『牧場の聖母』。 |
ユリウス2世 | 1443-1513年 | 盛期ルネサンス美術のパトロン。ラファエロ、ミケランジェロなどが援助を受ける。 |
ダ・ヴィンチ | 1452-1529年 | ルネサンス期を代表する芸術家。『空気遠近法』『スフマーフ』などを考案。主な作品は『モナ・リザ』『最後の晩餐』。 ※「ダ・ヴィンチ」は「ヴィンチ村出身」を意味し、略称としては「レオナルド」が適切ですが、日本では「ダ・ヴィンチ」の略称で定着しているため「ダ・ヴィンチ」の名称で記載しております。テキストでの略称は「レオナルド」です。 |
メッシーナ | 1430頃-1479年 | ルネサンス期に活動したヴェネツィア派の初期の画家。油彩の技法を本格的に用いた最初期の画家。 ※ヴェネツィアでは、湿気の影響でフレスコ画が劣化し流行らず、油絵が主流となった。 |
ジョルジョーネ | 1477頃-1510年 | 盛期ルネサンス期に活動したヴェネツィア派の画家。主な作品は『眠れるヴィーナス』。 |
ヴェロネーゼ | 1528-1588年 | ルネサンス期のヴェネツィアで活動した画家。世俗的な祝祭的作風の作品を多く描く。主な作品は『レヴィ家の饗宴』。 |
フランソワ1世 | 1494-1547年 | ダ・ヴィンチやフィオレンティーノらのパトロン。 |
ファン・エイク兄弟 | 1385頃-1441年 | 初期フランドル派の画家。油彩技法を完成させた。主な作品は『神秘の子羊の礼拝』『教会の聖母子』。wikipediaの情報はそれぞれ「兄」「弟」を参照。 |
ファン・デル・ウェイデン | 1399頃-1464年 | 初期フランドル派の画家。カンピンのもとで学んだ。現存する作品の多くは、祭壇画と肖像画。主な作品は『十字架降下』 |
ボッティチェッリ | 1445-1510年 | ルネサンス期のフィレンツェ派の画家。「ボッティチェッリ」は兄が太っていたことで付いた「小さな樽」という意味のあだ名。主な作品である『ヴィーナスの誕生』は、キャンヴァスに描かれた大画面の作品としては初期のものにあたる。 |
ミケランジェロ | 1475-1564年 | イタリア盛期ルネサンス期の芸術家。主な作品はシスティナ礼拝堂の天井画である『天地創造』や祭壇画である『最後の審判』。 |
ティツィアーノ | 1490頃-1576年 | ルネサンス期のフィレンツェ派の画家。長命な画家で、その作風は年代とともに変化したが、独特の色彩感覚は変わることがなかった。主な作品は『ウルビーノのヴィーナス』。 |
ヒエロニムス・ボス | 1450-1516年 | 初期フランドル派の画家。幻想的な作品が多く、シュルレアリスムの画家の関心も集めた。主な作品である『快楽の園』は、不気味な怪物が描かれた幻想的な三連祭壇画で、現在はスペインのプラド美術館が所蔵している。管理人(狒々山)が好きな画家の一人。 |
デューラー | 1471–1528年 | ドイツのルネサンス期の画家・版画家。主な作品は『メランコリアI』『アダムとイヴ』。 |
クラーナハ(父) | 1472–1553年 | ルネサンス期のドイツの画家。同名の息子も画家であり、クラーナハ (父) と表記されることが多い。ルターと親交があり、度々肖像画を描いた(世界史で出てくるあの絵の作者)。主な作品は『エジプトへの逃避都城の休息』。 |
グリューネヴァルト | 1470/1475頃 – 1528年 | ドイツ・ルネサンスの画家。ドイツ絵画史上最も重要な作品の1つである『イーゼンハイム祭壇画』の作者である。デューラーと同世代。主な作品は、イーゼンハイム祭壇画の部分である『キリストの磔刑』。 |
ブリューゲル(父) | 1525/1530頃-1569年 | ネーデルラントの画家。風俗や聖書、ことわざを題材とした作品の他、ヒエロニムス・ボスに大きく影響を受けた絵画も描き、ボス風の絵画を希望したパトロンの注文に応じた作品も残している。 |
ポントルモ | 1494-1557年 | マニエリスム期の画家。画風は技巧的かつ繊細優美であるが内向的で、どことなく憂鬱な気分をたたえる。主な作品は『十字架降下』。 |
ジャンボローニャ | 1529-1608年 | マニエリスム(または後期ルネサンス)の彫刻家。ローマでとくに古典古代の彫刻を学ぶ。ミケランジェロにも大きな影響を受けた。主な作品は『サビニの女の略奪』。 |
レンブラント | 1606–1669年 | ネーデルラントのバロック絵画を代表する画家。大画面と、光と影の明暗を明確にする技法を得意とし、主な作品である『夜警』も、強い明暗対比が特徴。 |
カラヴァッジョ | 1571-1610年 | バロック期のイタリア人画家。明暗を明確に分ける表現は、バロック絵画に大きく影響を与えた。主な作品は『聖ペテロの磔刑』。 |
ルーベンス | 1577-1640年 | バロック期のフランドルの画家。工房ではヴァン・ダイク、ブリューゲル等の弟子や仲間と共同制作。制作よりも構想に重点を置くことで、単独で捌く事の出来る範疇を超えた注文に対応した。また、外交官としても活躍した。主な作品は『マリー・ド・メディシスの生涯』とよばれる24点の連作絵画。 |
ベラスケス | 1599-1660年 | バロック期の画家。フェリペ4世に仕えたスペインの宮廷画家。主な作品は『ラス・メニーナス』 |
フランス・ハルス | 1580-1666年 | オランダ絵画の黄金時代を代表する画家。ハールレムの住人を描いた肖像画が多い。主な作品は『陽気な酒飲み』 |
フェルメール | 1632-1675年 | バロック期の画家。作品数は35点のみで、その多くが風俗画。描画の参考とするためカメラ・オブスクラと呼ばれるカメラの原型となった装置を用いていたという説がある。主な作品は『手紙を読む女(手紙を読む青衣の女)』。 |
ラ・トゥール | 1593-1652年 | 17世紀の著名なフランス画家で、次第に忘却され、20世紀初頭に「再発見」された。主な作品は『大工の聖ヨセフ』。 |
プッサン | 1594-1665年 | バロック時代の画家。バロック的表現は抑制されており、古典主義的な歴史画や宗教画が多い。王立絵画彫刻アカデミーで基準とされる。主な作品は『アルカディアの牧人たち』。 |
シャルダン | 1699-1799年 | ロココ時代のフランスの画家。中産階級のつましい生活や静物画を描き続けた。主な作品は『食前の祈り』。 |
ヴァトー | 1684-1721年 | ロココ時代のフランスの画家。典型的な作品は、田園に集い愛を語り合う若い男女の群れを描いたもので「雅宴画」と呼ばれた。 |
ゲインズバラ | 1727-1788年 | 18世紀のイギリスの画家。「肖像画は金のために、風景画は楽しみのために描く」と言っていたと伝えらており、自然を背景に人物を描く田園風の肖像画を描いた。 |
カナレット | 1697-1768年 | ヴェネツィア共和国の景観画家、版画家。主な作品は『サン・マルコ広場とその周辺』。 |
ゴヤ | 1746-1828年 | スペインの宮廷画家。40歳代にさしかかり、スペイン最高の画家としての地位を得たが、1792年に聴力を失う。マドリード郊外に「聾者の家」と通称される別荘を購入し、サロンや食堂を飾るために描かれた14枚の壁画群が、「黒い絵」と通称される。主な作品は『マドリード、1808年5月3日』。 |
ダヴィッド | 1748-1825年 | フランスの新古典主義の画家。主な作品は『ソクラテスの死』『マラーの死』。 |
アングル | 1780-1867年 | フランスの画家。19世紀前半、当時台頭してきたドラクロワらのロマン主義絵画に対抗し、ダヴィッドから新古典主義を継承。しかし、主な作品である『グランド・オダリスク』は、古典主義的な美よりも、個人的美意識で作られ、同時代人から「新古典主義からの離脱」ととらえられた。 |
ドラクロワ | 1798-1863年 | フランスのロマン主義の画家。主な作品は『民衆を導く自由の女神』『キオス島の虐殺』。 |
ターナー | 1775-1851年 | イギリスのロマン主義の画家。特定の景観の地誌的なものや、風景を神話や歴史舞台として描いた風景画を描いた。主な作品は『カルタゴを建設するディド』。 |
コンスタブル | 1776-1837年 | 19世紀イギリスを代表する風景画家で、風景画が市民権を得る事に貢献し、印象派にも影響を与えた。主な作品は『乾草車(乾草の車)』『主教の庭から見たソールズベリー大聖堂』。 |
コロー | 1796-1875年 | フランスの画家。フォンテーヌブローの森やイタリアなどでも制作を行った。後半生には、画面全体が銀灰色の靄に包まれたような、独特の色調の風景画を描いた。主な作品は『ティヴォリのヴィラ・デステ庭園』。 |
ミレー | 1814-1875年 | フランスの画家。バルビゾン派の画家の1人。農民画で知られる。主な作品は『落穂拾い』。 |
ドービニー | 1817–1878年 | フランスの画家。バルビゾン派の画家の1人。印象派につながる重要な先駆けを果たしたといわれる。主な作品は『オワーズ川の日没』。 |
クールベ | 1819-1877年 | フランスの写実主義の画家。主な作品は『石割り人夫』(1945年焼失)、『画家のアトリエ』。 |
マネ | 1832-1883年 | フランスの画家。『草上の昼食』『オランピア』は絵画界にスキャンダルを起こした。印象派の画家に影響を与え、「印象派の指導者・先駆者」とも言われる。主な作品である『草上の昼食』は、落選展(1863年のサロンを落選した作家の作品による展覧会)に出品された。友人で小説家のエミール・ゾラの肖画も描く。 |
モネ | 1840-1926年 | 印象派を代表するフランスの画家。『印象・日の出』は印象派の名前の由来となっている。主な作品は『ジヴェルニー付近の夕陽を浴びる積み藁』『カピュシーヌ大通り』。 |
カサット | 1844-1926年 | アメリカの画家・版画家。主な作品は『オペラ座の黒衣の女』 |
ドガ | 1834-1917年 | フランスの印象派の画家、彫刻家。1880年代半ば以降のパステル作品では「浴槽の裸婦」など、閉ざされた部屋で黙々と身づくろいに精を出す女の姿が描かれていく。 |
ピサロ | 1830-1903年 | フランスの印象派の画家。1884年からは、エラニーに住み、農家の娘を主題とした。シニャックやスーラと交流する中で、新印象主義に加わり、点描の手法を用いるようになるが、余りに時間がかかり、買い手からも点描の作品が嫌われた事もあり、新印象主義を放棄する。主な作品は『エラニーの牛を追う娘』。 |
セザンヌ | 1839-1906年 | ポスト印象派のフランスの画家。キュビスムに影響を与えた。主な作品は『サント・ヴィクトワール山』『大水浴』。 |
ゴーガン | 1848-1903年 | フランスのポスト印象派の画家。ポン=タヴァンで活動した芸術家たちのグループ、ポン=タヴァン派の中心的人物。ポン=タヴァン派は、総合主義という理論で印象主義と対抗した。後半生はタヒチ島に移住した。主な作品は『タヒチの女たち』『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』。 |
ゴッホ | 1853-1890年 | オランダのポスト印象派の画家。アルルでのゴーガンとの共同生活や、耳を切り落とした事件でも有名。37歳で拳銃自殺する。主な作品は『糸杉のある麦畑』『星月夜』『ひまわり』『アルルの寝室』。 |
ロダン | 1840-1917年 | 『近代彫刻の父』と称されるフランスの彫刻家。主な作品の『カレーの市民』『地獄の門』。『地獄の門』は、ダンテの『神曲』に基づいて造られた。 |
ルドン | 1840–1916年 | フランス人画家。印象派の世代であるが、作風やテーマは大きく異なり、幻想の世界を描き続けた。主な作品は『キュクロープス』。 |
マイヨール | 1861–1944年 | フランスの彫刻家、画家。ロダン、ブールデルとともに近代ヨーロッパを代表する彫刻家の一人。主な作品は『地中海』。 |
ロセッティ | 1828-1882年 | イングランドの画家。ラファエル以前の以前の美術に回帰するラファエル前派を結成した。主な作品は『受胎告知』。 |
ミレイ | 1829-1896年 | ラファエル前派の画家。主な作品『オフィーリア』は、ハムレットを題材とする。 |
モロー | 1826-1898年 | フランスの象徴主義の画家。聖書や神話に題材をとった幻想的な作風で知られる。弟子にマティスとルオーという2人の巨匠がいる。主な作品は『出現』。 |
タルボット | 1800-1877年 | 写真技術の先駆者。カロタイプと呼ばれる初期の写真を発明。 |
ビアズリー | 1872-1898年 | イギリスのイラストレーター。オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の挿絵を描いた。 |
ロートレック | 1864–1901年 | フランスの画家。ポスターを芸術の域にまで高めた。彼のポスターやリトグラフは日本美術からも強い影響を受けた。主な作品は『ディヴァン・ジャポネ』『ムーラン・ルージュ』。 |
アンリ・ルソー | 1844-1910年 | フランスの素朴派の画家。 パリ市の税関の職員を務め、仕事の余暇に絵を描いていた「日曜画家」。主な作品は『夢』『フットボールをする人々』。管理人(狒々山)が好きな画家です。 |
ガレ | 1846-1904年 | 植物などの有機的なモチーフや自由曲線を特徴とするアール・ヌーヴォーを代表するフランスの工芸家。主な作品は『ひとよ茸ランプ』。 |
アルフォンス・ミュシャ | 1860-1939年 | アール・ヌーヴォーを代表する画家で、アール・ヌーヴォーらしい曲線を多用したデザインが特徴。主な作品は『ジスモンダ』。管理人(狒々山)が好きな画家です。 |
ムンク | 1863-1944年 | ノルウェーの画家。主な作品である『叫び』は「自然を貫く果てしない叫び」に怖れおののいて耳を塞いでいる姿を描いたもの。 |
ココシュカ | 1886–1980年 | オーストリアの画家。ウィーン工芸学校で学びクリムトを中心に結成された「ウィーン分離派」の影響を受けたが「ウィーン分離派」「青騎士」「ブリュッケ」などの当時の芸術運動やグループには参加せず、終始独自の道を歩んだ。 |
キルヒナー | 1880–1938年 | ドイツ表現主義の画家。ドレスデンにて画家グループ「ブリュッケ」(「橋」の意)を結成した。ナチス・ドイツにより1937年、自分の作品が「退廃芸術」とされたことにショックを受け、翌年自宅でピストル自殺。主な作品は『街の五人の女』。 |
マルク | 1880-1916年 | ドイツの画家。動物を愛し、動物とひとつになろうとした画家であった。カンディンスキーと「青騎士」年鑑を編集した。第一次世界大戦に出征し36歳で戦死。 |
クレー | 1879–1940年 | スイスの画家、美術理論家。カンディンスキーらと「青騎士」を結成しバウハウスでも教鞭をとる。主な作品は『マルクの庭の熱風』。 |
マティス | 1869–1954年 | フランスの画家。モローの下で絵画を勉強し、フォーヴィスム(野獣派)のリーダー的存在となる。自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われた。主な作品は『ダンスI(習作)』『帽子の女』。 |
ドラン | 1880-1954年 | フォーヴィスム(野獣派)に分類されるフランスの画家。イタリア旅行を機に作風はアカデミックなものに回帰し、古典的な作風になる。主な作品は『アルルカンとピエロ』。 |
デュフィ | 1877-1953年 | フォーヴィスム(野獣派)に分類されるフランスの画家。他のフォーヴ達と違い、陽気な透明感のある色彩、リズム感のある線描が特徴。画題は音楽や海、馬や薔薇をモチーフが多い。主な作品は『オーケストラ』。 |
ピカソ | 1881–1973年 | スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家。ブラックとともに、キュビスムの創始者として知られる。最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている。アフリカの仮面彫刻からも影響を受けた。主な作品は『アヴィニョンの娘たち』 |
マリネッティ | 1876–1944年 | イタリアの詩人。機械化によって実現された近代社会の速さを称える「未来派」を結成する。 |
デュシャン | 1887–1968年 | フランス生まれの美術家。主な作品の『会談を降りる裸体 No.2』等はアーモリー・ショーに出展されスキャンダルになり「屋根瓦工場の爆発」などと新聞で揶揄され、アメリカにおけるデュシャンの名を大きく広めた。また、主な作品である『泉』は、男性用の小便器に署名したものであり、芸術の問い直しを行った。 |
モンドリアン | 1872–1944年 | オランダ出身の画家。本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家。芸術雑誌『デ・ステイル (De Stijl)』で「新造形主義」と呼ばれる芸術理論を唱えた。 |
マレーヴィッチ | 1879–1935年 | ウクライナ・ソ連の芸術家。無対象を主義とする「シュプレマティスム(絶対主義)」の作画を行い、グループ展で「シュプレマティスム(絶対主義)絵画」と呼ぶ39点の絵画を出品した。 |
ドゥースブルフ | 1883–1931年 | オランダの芸術家。『デ・ステイル (De Stijl)』をモンドリアンらと結成した。 |
ツァラ | 1896–1963年 | ダダイスムの創始者として知られるフランスの詩人。 |
シュヴィッタース | 1887–1948年 | ドイツの芸術家・画家。最も有名な作品群は、廃物などを利用したコラージュ「メルツ絵画」であるが、その他にもインスタレーションの先駆けと言える「メルツ建築(メルツバウ)」がある。 |
キリコ | 1888–1978年 | イタリアの画家。未来派のカルロ・カッロたちと形而上絵画派を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えた。主な作品は『王の不機嫌』。 |
ブルトン | 1896–1966年 | フランスの詩人、文学者、シュルレアリスト。ダダに参加していたが、ツァラと対立し、ダダと決別。「シュルレアリスム宣言」の起草によって、シュルレアリスムを創始した。精神医学を学び、フロイトからも影響を受けた。 |
マッソン | 1896–1987年 | シュルレアリスム運動に参加したフランスの画家。オートマティスム(自動記述法)の手法などを取り入れた非作為的なデッサンを実践した作品を制作した。 |
ミロ | 1893–1983年 | スペインの画家。ダダとシュルレアリスムの影響を受けたが一定の距離を保ち、オートマティスム(自動記述法)から自分のスタイルを確立した。 |
マグリット | 1898–1967年 | ベルギーのシュルレアリスムの画家。キリコの作品『愛の歌』に感銘を受け、シュルレアリストになった。日常の物や風景を意外な形で組み合わせる手法を用いる(デペイズマン)。主な作品は『大家族』。管理人(狒々山)が好きな画家。 |
カンディンスキー | 1866–1944年 | ロシア出身の画家。美術理論家で、抽象絵画の創始者とされる。マルクとともに新ミュンヘン美術家協会脱退して「青騎士」(デア・ブラウエ・ライター)を結成。バウハウスで教鞭をとった事もある。 |
ユトリロ | 1883–1955年 | エコール・ド・パリの画家としては珍しく、生粋のフランス人。飲酒治療の一環として行っていた描画が評価され、絵画を始めたこともあり、ほぼ独学。 |
ブランクーシ | 1876–1957年 | ルーマニアの彫刻家。抽象彫刻に影響を与え、ミニマル・アートの先駆的作品も残した。対象を極端に抽象化した作品が特徴。モディリアーニの師。主な作品は『空間の中の鳥』『接吻』。 |
ボッチョーニ | 1882–1916年 | 未来派のイタリアの芸術家。主な作品は『空間の中で連続するユニークな形態』。 |
ムーア | 1898–1986年 | イギリスの芸術家。穴が貫通している横たわる人体などの特徴的な作品を作り、マヤ文明やストーンヘンジなどの影響を受けた。 |
タウト | 1880–1938年 | ドイツの建築家、都市計画家。ドイツ工作連盟に参加し、ドイツ工作連盟の展覧会に「ガラスのパヴィリオン(ガラスの家)」を出展。タウトが設計した「田園都市ファルケンベルクの住宅群」は「ベルリンのモダニズム集合住宅群」の1部として世界遺産に登録されている。 |
ミース | 1886–1969年 | モダニズム建築を代表するドイツ出身の建築家。バウハウスの三代目(最後)の校長。ちなみに、初代校長はグロピウス、二代目はマイヤー。 |
フランク・ロイド・ライト | 1867–1959年 | アメリカの建築家。コルビュジエ、ミースと「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる。日本にもいくつか作品を残しており「旧帝国ホテルのロビー」「旧山邑家住宅」などの設計も行う。水平線を強調し、部屋同士を完全に区切らないで、一つの空間としてつないだこと『プレーリー・ハウス(プレイリースタイル)』を生み出す。2019年、8件の建築作品が『フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群』として世界遺産に登録された。 |
デュビュッフェ | 1901-1985年 | フランスの画家。アンフォルメルの先駆者と見なされ、従来の西洋美術の伝統的価値観を否定し、強迫的幻視者や精神障害者の作品をアール・ブリュット(生の芸術)と呼んだ。 |
ポロック | 1912-1956年 | アメリカの画家。抽象表現主義(ニューヨーク・スクール)の代表的な画家であり、彼の画法はアクション・ペインティングとも呼ばれた。 |
ハミルトン | 1922-2011年 | イギリスの画家。ポップアートの先駆的存在とされる。主な作品である『いったい何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力的にしているのか?』はコラージュの作品。 |
ジャスパー・ジョーンズ | 1930年 – 存命(2022年時点) | アメリカの画家。アメリカにおけるネオダダやポップアートの先駆者。ダーツの標的、アメリカ50州の地図、数字や文字などを「描いた」作品がよく知られる。主な作品は『三枚の旗』 |
ジャッド | 1928- 1994年 | アメリカ合衆国の芸術家。抽象表現主義の情念の混沌とした世界の表現に反対し、装飾的・説明的な部分をできるだけ削ぎ落として表現するミニマル・アートを代表するアーティストの1人。必ずカウボーイハットをかぶって記者会見をしていた。主な作品は『無題』。 |
ステラ | 1936年 – 存命(2022年時点) | アメリカ出身の芸術家で、戦後アメリカの抽象絵画を代表する作家。初期にはミニマル・アート風の作品を作る。描くものと画面の形を一致させる「シェイプト・キャンヴァス」は1960年代にステラが着手した一連のシリーズが、その端緒として知られる。 |
ヴァザルリ | 1906-1997年 | 錯視的効果を狙った「オプ・アート」の先駆者とされるハンガリー系フランス人の芸術家。ドイツのバウハウス運動の機能主義と、ソ連のコンストラクティヴィスム(構成主義)に影響を受け、1930年代から移住先のフランスにおいて、独自の幾何学的抽象性を追求した。 |
ジャコメッティ | 1901-1966年 | スイスの彫刻家。針金のように極端に細く、長く引き伸ばされた人物彫刻で有名。これらの作品はしばしば実存主義的と評される。主な作品の『立つ女II』も、極端に肉を削ぎ取りデフォルメした女性像である。 |
マチューナス | 1931-1978年 | リトアニア生まれの現代美術家。「流れる、変化する、下剤をかける」という意味であるフルクサスの創始者として知られる。フルクサスは、1960年代を代表する芸術運動として、ネオダダと並び称される。 |
カルダー | 1898-1976年 | アメリカ合衆国の現代美術家。動く彫刻「モビール」の発明と制作で知られている。「色彩の魔術師」とも言われる。 主な作品である『ロブスターのわなと魚のしっぽ』もモビールの一例である。 |
リヒター | 1932年 – 存命(2022年時点) | ドイツの画家。現在も、世界で最も注目を浴びる重要な芸術の一人。若者にも人気があり「ドイツ最高峰の画家」と呼ばれる。初期の頃から製作されているフォト・ペインティングは、新聞や雑誌の写真を大きくカンバスに描き写し、画面全体をぼかした手法である。 |
コスース | 1945年 – 存命(2022年時点) | アメリカのコンセプチュアル・アーティスト。主な作品は『一つの、そして三つの椅子』。 |
チェラント | 1940-2020年 | イタリアの批評家。アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)という言葉を初めて用いた。 |
カロ | 1924-2013年 | イギリスの彫刻家。 具象的な人体彫刻を制作していたが、1959年に渡米してデイビッド・スミスらの影響を受け、帰国後は主として抽象彫刻として制作を行う。主な作品は『真昼』。 |
ノーランド | 1924-2010年 | アメリカの抽象表現主義の画家。「カラーフィールド・ペインティング」と呼ばれた動向の代表作家の1人。 |
ウォルター・デ・マリア | 1935-2013年 | アメリカ合衆国の彫刻家・音楽家。ミニマルな彫刻やインスタレーション作品の制作、ランド・アートのプロジェクトを実行するようになる。主な作品の『ライトニング・フィールド』は砂漠の中に作ったランド・アート。 |
ギルバート&ジョージ | 1942年 – 存命(2022年時点) | 風変わりで時に攻撃的な作品から、常に物議を醸している二人組の現代美術家。G&Gと略される。主な作品の『歌う彫刻』は自分自身を金箔で覆ったものであり「生きた彫刻」シリーズとして有名。 |
パイク | 1932-2006年 | 韓国生まれのアメリカ合衆国の現代美術家。ビデオ・アートの開拓者。主な作品は『テレビ・チェロ』。 |
ボイス | 1921-1986年 | ドイツの現代美術家。『社会彫刻』という概念を編み出し、彫刻や芸術の概念を「教育」や「社会変革」にまで拡張した。 |
美術検定3級の日本の美術について
日本の美術については、同様に一覧形式で以下の記事にまとめました。
美術検定3級の合格体験記
実際に美術検定3級に合格した際の内容については、以下の記事にまとめました。