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【美術検定3級】日本の美術関係の人物と作品を、暗記用にまとめてみた

11月 30, 2022美術検定

この記事では、美術検定3級の問題集・テキストの要点を参考に「日本の美術関連の人物名を中心に、作品名・芸術の様式や運動を紐づけて暗記」できるよう、一覧にまとめ、参考情報のリンクを付けました。

「試験直前の実力確認に利用する」「人物名を赤シートで隠して暗記する」「美術検定3級で問われる内容を確認したい」など、試験対策に活用していただければ幸いです。

「主な作品」として紹介しているものは、問題集とテキストを基準に選んであります。

また、解説の少なかった人物や、人物と直接関連しない内容は記載しておりませんので、実際の試験ではこの一覧外の内容も出題されます(とくに、平安時代以前の内容)。合格のためには、テキストや問題集での学習が必要です。

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美術検定3級で出題が想定される主な画家と作品

人物名生没年備考
天武天皇? – 686年皇后の病気回復を祈願し、680年に薬師寺を建造した。
聖武天皇701756年遺品である貴重な宝物が、東大寺の一角にある正倉院に収蔵されている。
定朝? – 1057年平安時代後期に活躍した仏師寄木造技法の完成者。主な作品である阿弥陀如来坐像』は平等院鳳凰堂にある
運慶? – 1224年平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した仏師。主な作品は『無著立像』。
覚如1222頃-1289年頃鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての浄土真宗。『慕帰絵』は覚如の生涯を描いたもの。
足利義満1358-1408年京都の北山に禅寺「金閣寺(鹿苑寺)」を建造した。
狩野正信1434頃1530年頃室町時代の絵師で、狩野派の祖。
土佐光信1434頃1525年頃室町時代中期から戦国時代にかけての大和絵絵師土佐派三筆と称され、土佐派中興の祖とされる。主な作品である『清水寺縁起絵巻』は、息子の土佐光茂の筆も混ざると言われる。
雪舟14201506年頃室町時代に活躍した水墨画家禅僧(画僧)。主な作品は『天橋立図』『秋冬山水画』『慧可断臂図』。
狩野元信
14761559年室町時代絵師狩野派の祖・狩野正信の子で、狩野派2代目。注文の増加と多様化に対応するため、新たな画風や制作体制を行い、幅広い注文主に対応した。
狩野永徳15431590年安土桃山時代絵師狩野派の代表的な画人。主な作品は唐獅子図屏風』、『洛中洛外図屏風』、『大徳寺聚光院襖絵』『安土城障壁画』『安土城障壁画』は、安土城とともに焼失したが、残りは現存
長谷川等伯15391610年安土桃山時代から江戸時代初期にかけて能登国出身の絵師。長谷川派の始祖。主な作品は『松林図屏風』『楓図』。『楓図』は京都市・智積院に所蔵されている。
海北友松(かいほう ゆうしょう15331615年安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師海北派の始祖。武家出身。主な作品は、建仁寺大方丈の障壁画(『山水図』『竹林七賢図』『雲龍図』など)。
千利休15221591年わび茶(草庵の茶)の完成者。茶室『待庵』を作った。
(初代)長次郎?安土桃山時代を代表する京都陶工千利休の創意に基づき、黒楽と赤楽の楽茶碗を制作した。
雲谷等顔(うんこくとうがん)1547-1618年毛利氏の御用絵師。雪舟の画風に基づきながら、雲谷派の祖となる。
狩野探幽16021674年江戸時代初期の狩野派絵師。家康~家綱までの4代将軍に仕えた。主な作品である雪中梅竹遊禽図襖』は、名古屋城の障壁画
本阿弥光悦15581637年江戸時代初期の書家陶芸家蒔絵師、芸術家、茶人。寛永の三筆の一人と称される光悦流の祖洛北鷹峯に芸術村(光悦村)を築いた鶴図下絵和歌巻』では千羽鶴の上に和歌を散らした
俵屋宗達?江戸時代初期の画家。光悦と並んで琳派の祖と言われるが、その生涯には不明な点が多い。主な作品は鶴図下絵和歌巻』『風神雷神図屛風
野々村 仁清(ののむら にんせい)17世紀京焼色絵陶器を完成させた陶工。仁和寺の門前に窯を開き、絵付茶陶を制作した。
菱川師宣16181694年江戸時代画家、菱川派の祖。浮世絵の確立者であり、しばしば「浮世絵の祖」と称される。
尾形光琳16581716年江戸時代琳派画家工芸家主な作品は『風神雷神図屏風』。
伊藤若冲17161800年江戸時代の画家。緻密なタッチや鮮やかな彩色で、動物をモチーフにした作品を多く残した。主な作品である動植綵絵』24幅(全30幅)と『釈迦三尊図』3幅を相国寺に寄進した
鈴木晴信17251770年江戸時代中期の浮世絵師。美人画で人気を博す。錦絵の誕生や発展に大きく寄与した。主な作品は『浮世美人寄花』シリーズ。
曾我蕭白(そが しょうはく)17301781年江戸時代中期の絵師。高い水墨画の技術を誇る一方、強烈な画風で奇想の絵師と評される。紙本著色群仙図』では、水墨主体で描いた景観に、奇怪な仙人を極彩色で描いている
円山応挙1733-1795年江戸時代中期~後期の絵師。円山派の祖。写生を重視した親しみやすい画風が特色。江戸時代の写生画派繁栄の礎を築いた
喜多川歌麿17531806年江戸時代日本で活躍した浮世絵師。「美人大首絵」で人気を博した。主な作品は『婦人相学十躰』。
葛飾北斎1760頃-1849年江戸時代後期、化政文化の代表的な浮世絵師を代表する一人。生涯に3万点を超える作品を発表。主な作品は『冨嶽三十六景』。
酒井抱一17611829年江戸時代後期の琳派絵師で、江戸琳派の祖。主な作品は『風神雷神図屏風』。
歌川広重17971858年江戸時代浮世絵師。大胆な構図で名所を描き、海外では青、特に藍色の扱いで高く評価される。主な作品は東海道五十三次』『名所江戸百景
歌川国芳17981861年江戸末期の浮世絵師。“武者絵の国芳”と称された他、美人画、名所絵、戯画にも力作を残す。主な作品は『みかけハこハゐがとんだいゝ人だ』。
フォンタネージ18181882年イタリア人画家。バルビゾン派の画家と交流を持ち、風景画家となる。来日し、工部美術学校で教えた。
高橋由一(たかはし ゆいち)18281894年日本洋画の創始者と呼ばれる。油絵を学び、画塾「天絵楼」を開いた。主な作品は』『豆腐』『花魁図
チャールズ・ワーグマン18321891年『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』の特派員として来日した。高橋由一など、多くの日本人に洋画の技術を教え、日本近代洋画に影響を与える。また、漫画雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊した。
小林 清親(こばやし きよちか)18471915年明治時代浮世絵師江戸から移り変わる維新後の東京の様子を版画で表現した。主な作品は『九段坂五月夜』。
高村光雲
18521934年日本の仏師彫刻家。西洋美術を学び、木彫に写実主義を取り入れ、衰退した木彫を復活させた。主な作品は『老猿』。
コンドル18521920年イギリスの建築家。鹿鳴館の設計を担当した。
辰野金吾18541919年日本の建築家。設計の頑丈さから「辰野堅固」と呼ばれた。ルネサンス様式である日本銀行本店を設計した。
岡倉天心
18631913年日本の思想家、文人。東京美術学校の事実上の初代校長を務め、副校長はフェノロサが務めた。また、フェノロサの美術品収集を手伝った。
黒田清輝18661924年日本洋画家政治家印象派の影響を取り入れた外光派と呼ばれる作風を確立。また、久米桂一郎白馬会を発足させた。主な作品は『舞妓』。
横山大観
18681958年近代日本画壇の巨匠。線描を抑えた独特の没線描法「朦朧体」を確立。朦朧体は、明瞭な輪郭をもたないなど理解されず、評論家からは酷評されて付けられた呼称。主な作品は『生々流転』。
菱田春草18741911年明治期の日本画家。日本美術院で横山大観下村観山とともに岡倉天心(覚三)のもとで日本画を研究。明治期の日本画の革新に貢献した。
青木繁18821911年日本洋画家。明治浪漫主義の代表的作家。東京美術学校で、黒田清輝から指導を受けた。主な作品は『海の幸』。
竹久夢二18841934年日本画家詩人美人画を多く残し、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた。
岸田劉生18911929年大正から昭和初期の洋画家黒田清輝に師事した。1912年にヒュウザン会を結成。主な作品は『麗子肖像』で、娘の麗子をモデルとした作品を多く残す。
高村光太郎18831956年日本詩人歌人彫刻家画家芸術の自由を宣言した評論である「緑色の太陽」は、日本におけるフォーヴィスム宣言ともいえる論文
藤田嗣治(レオナール・フジタ)18861968年日本生まれで、エコール・ド・パリの代表的な画家。「乳白色の肌」と呼ばれる裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びた。戦時中は『アッツ島玉砕』などの戦争画を描いた。
村上華岳18881939年大正~昭和期の日本画家。京都の日本画家と国画創作協会を設立した。
柳宗悦18891961年民藝運動の主唱者、美術評論家、宗教哲学者。「民藝(民衆的工藝)」という言葉を作った
恩地孝四郎1891-1955年創作版画の先駆者のひとりであり、日本の抽象絵画の創始者。『月映(つくはえ)』創刊メンバーの1人。
速水御舟(はやみ ぎょしゅう)
1894-1935年院展を代表する画家。主な作品は『炎舞』。
佐伯祐三18981928年大正昭和初期の洋画家。パリでの友人である前田寛治里見勝蔵小島善太郎らと「1930年協会(独立美術協会)」を結成した。
神原泰(かんばら たい)18981997年当初詩人として活動するが、絵画へ展開し1917年に二科展に出品。未来派に傾倒する。後に独立して美術団体「アクション」を結成
梅原龍三郎18881986年日本の洋画家の重鎮。ヨーロッパで学んだ油彩画に、日本の伝統的な美術を取り入れ日本の洋画の発展に大きな影響を与えた。主な作品は『紫禁城』。
丸木位里
丸木俊
19011995年
19122000年
夫婦で自らの戦争体験から連作『原爆の図』を描いた
北脇昇19011951年日本のシュルレアリスム画家。色彩豊かな幻想性の強い写実的作品が多い。主な作品は『クォ・ヴァディス
坂倉準三
19011969年日本の建築家。ル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築を実践。主な作品は『神奈川県立近代美術館(鎌倉館)
斎藤義重19042001年現代美術家。ロシア未来派から刺激を受けた。絵画と彫刻の垣根を超えた表現を追求。海外からも注目されミシェル・タピエは斎藤の作品を「私にとって新しい発見」と評価した
吉原治良(よしはら じろう)19051972年日本の抽象画家。1954年、兵庫で具体美術協会を結成した。
東山魁夷19081999年風景画の分野では国民的画家といわれた。日展を中心に活躍。主な作品は『』。
土門拳
19091990年日本写真家リアリズムにこだわった報道写真や、日本各地の古い寺院や仏像などを撮影した写真集『古寺巡礼などの作品を残した。
亀倉雄策19151997年グラフィックデザイナー。写真を使ったポスター作品で有名。主な作品は『《第18回オリンピック競技大会(東京)》ポスター』。
八木一夫
19181979年陶芸家であり、現代陶芸に新分野を確立。器として機能を持たない作品を発表し「オブジェ焼」と呼ばれる。主な作品であるザムザ氏の散歩』も「オブジェ焼」の作品。
河原温(かわら おん)19322014年コンセプチュアル・アートの第一人者。主な作品である日付絵画』は、1966年から亡くなるまで続けた日付のみを描いた作品
オノ・ヨーコ1933-存命(2022年時点)前衛芸術家。ビートルズジョン・レノンと結婚した事でも有名。1960年代にはニューヨークを拠点としフルクサスのメンバーとして活躍した。
工藤哲巳19351990年日本の現代美術家。主な作品である『増殖性連鎖反応』は、最初に「反芸術」の語を用いられた作品であり、日本の若手美術家に反芸術ブームを起こした。
中西夏之19352016年日本の前衛美術現代美術家。高松次郎赤瀬川原平らと結成した前衛芸術グループ「ハイレッド・センター」は、お互いの苗字の頭文字から1文字とって名付けられた
(リ・ウファン)1936-存命(2022年時点)韓国出身で日本を拠点に活動している美術家。「もの派」を理論的に主導した。主な作品である関係項』は、自然の石とガラスの板を用いた「もの派」の作品
横尾忠則1936-存命(2022年時点)グラフィックデザイナーとして活躍し、後に画家に転身した。主な作品は『《劇団状況劇場「ジョン・シルバー 新宿恋しや夜鳴き篇」》ポスター
関根伸夫19422019年現代美術家、彫刻家もの派」の作品を多く発表。主な作品は『《位相-大地》』。

美術検定3級の西洋美術について

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