【美術検定3級】日本の美術関係の人物と作品を、暗記用にまとめてみた
この記事では、美術検定3級の問題集・テキストの要点を参考に「日本の美術関連の人物名を中心に、作品名・芸術の様式や運動を紐づけて暗記」できるよう、一覧にまとめ、参考情報のリンクを付けました。
「試験直前の実力確認に利用する」「人物名を赤シートで隠して暗記する」「美術検定3級で問われる内容を確認したい」など、試験対策に活用していただければ幸いです。
「主な作品」として紹介しているものは、問題集とテキストを基準に選んであります。
また、解説の少なかった人物や、人物と直接関連しない内容は記載しておりませんので、実際の試験ではこの一覧外の内容も出題されます(とくに、平安時代以前の内容)。合格のためには、テキストや問題集での学習が必要です。
美術検定3級で出題が想定される主な画家と作品
人物名 | 生没年 | 備考 |
天武天皇 | ? – 686年 | 皇后の病気回復を祈願し、680年に薬師寺を建造した。 |
聖武天皇 | 701–756年 | 遺品である貴重な宝物が、東大寺の一角にある正倉院に収蔵されている。 |
定朝 | ? – 1057年 | 平安時代後期に活躍した仏師。寄木造技法の完成者。主な作品である『阿弥陀如来坐像』は平等院鳳凰堂にある。 |
運慶 | ? – 1224年 | 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した仏師。主な作品は『無著立像』。 |
覚如 | 1222頃-1289年頃 | 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての浄土真宗の僧。『慕帰絵』は覚如の生涯を描いたもの。 |
足利義満 | 1358-1408年 | 京都の北山に禅寺「金閣寺(鹿苑寺)」を建造した。 |
狩野正信 | 1434頃–1530年頃 | 室町時代の絵師で、狩野派の祖。 |
土佐光信 | 1434頃–1525年頃 | 室町時代中期から戦国時代にかけての大和絵の絵師。土佐派三筆と称され、土佐派中興の祖とされる。主な作品である『清水寺縁起絵巻』は、息子の土佐光茂の筆も混ざると言われる。 |
雪舟 | 1420–1506年頃 | 室町時代に活躍した水墨画家・禅僧(画僧)。主な作品は『天橋立図』『秋冬山水画』『慧可断臂図』。 |
狩野元信 | 1476–1559年 | 室町時代の絵師。狩野派の祖・狩野正信の子で、狩野派2代目。注文の増加と多様化に対応するため、新たな画風や制作体制を行い、幅広い注文主に対応した。 |
狩野永徳 | 1543–1590年 | 安土桃山時代の絵師。狩野派の代表的な画人。主な作品は『唐獅子図屏風』、『洛中洛外図屏風』、『大徳寺聚光院襖絵』『安土城障壁画』。『安土城障壁画』は、安土城とともに焼失したが、残りは現存。 |
長谷川等伯 | 1539–1610年 | 安土桃山時代から江戸時代初期にかけて能登国出身の絵師。長谷川派の始祖。主な作品は『松林図屏風』『楓図』。『楓図』は京都市・智積院に所蔵されている。 |
海北友松(かいほう ゆうしょう) | 1533–1615年 | 安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。海北派の始祖。武家出身。主な作品は、建仁寺大方丈の障壁画(『山水図』『竹林七賢図』『雲龍図』など)。 |
千利休 | 1522–1591年 | わび茶(草庵の茶)の完成者。茶室『待庵』を作った。 |
(初代)長次郎 | ? | 安土桃山時代を代表する京都の陶工。千利休の創意に基づき、黒楽と赤楽の楽茶碗を制作した。 |
雲谷等顔(うんこくとうがん) | 1547-1618年 | 毛利氏の御用絵師。雪舟の画風に基づきながら、雲谷派の祖となる。 |
狩野探幽 | 1602–1674年 | 江戸時代初期の狩野派の絵師。家康~家綱までの4代将軍に仕えた。主な作品である『雪中梅竹遊禽図襖』は、名古屋城の障壁画。 |
本阿弥光悦 | 1558–1637年 | 江戸時代初期の書家、陶芸家、蒔絵師、芸術家、茶人。寛永の三筆の一人と称される光悦流の祖。洛北鷹峯に芸術村(光悦村)を築いた。『鶴図下絵和歌巻』では千羽鶴の上に和歌を散らした。 |
俵屋宗達 | ? | 江戸時代初期の画家。光悦と並んで琳派の祖と言われるが、その生涯には不明な点が多い。主な作品は『鶴図下絵和歌巻』『風神雷神図屛風』。 |
野々村 仁清(ののむら にんせい) | 17世紀 | 京焼色絵陶器を完成させた陶工。仁和寺の門前に窯を開き、絵付茶陶を制作した。 |
菱川師宣 | 1618–1694年 | 江戸時代の画家、菱川派の祖。浮世絵の確立者であり、しばしば「浮世絵の祖」と称される。 |
尾形光琳 | 1658–1716年 | 江戸時代の琳派の画家、工芸家。主な作品は『風神雷神図屏風』。 |
伊藤若冲 | 1716–1800年 | 江戸時代の画家。緻密なタッチや鮮やかな彩色で、動物をモチーフにした作品を多く残した。主な作品である『動植綵絵』24幅(全30幅)と『釈迦三尊図』3幅を相国寺に寄進した。 |
鈴木晴信 | 1725–1770年 | 江戸時代中期の浮世絵師。美人画で人気を博す。錦絵の誕生や発展に大きく寄与した。主な作品は『浮世美人寄花』シリーズ。 |
曾我蕭白(そが しょうはく) | 1730–1781年 | 江戸時代中期の絵師。高い水墨画の技術を誇る一方、強烈な画風で奇想の絵師と評される。『紙本著色群仙図』では、水墨主体で描いた景観に、奇怪な仙人を極彩色で描いている。 |
円山応挙 | 1733-1795年 | 江戸時代中期~後期の絵師。円山派の祖。写生を重視した親しみやすい画風が特色。江戸時代の写生画派繁栄の礎を築いた。 |
喜多川歌麿 | 1753–1806年 | 江戸時代の日本で活躍した浮世絵師。「美人大首絵」で人気を博した。主な作品は『婦人相学十躰』。 |
葛飾北斎 | 1760頃-1849年 | 江戸時代後期、化政文化の代表的な浮世絵師。を代表する一人。生涯に3万点を超える作品を発表。主な作品は『冨嶽三十六景』。 |
酒井抱一 | 1761–1829年 | 江戸時代後期の琳派の絵師で、江戸琳派の祖。主な作品は『風神雷神図屏風』。 |
歌川広重 | 1797–1858年 | 江戸時代の浮世絵師。大胆な構図で名所を描き、海外では青、特に藍色の扱いで高く評価される。主な作品は『東海道五十三次』『名所江戸百景』。 |
歌川国芳 | 1798–1861年 | 江戸末期の浮世絵師。“武者絵の国芳”と称された他、美人画、名所絵、戯画にも力作を残す。主な作品は『みかけハこハゐがとんだいゝ人だ』。 |
フォンタネージ | 1818–1882年 | イタリア人画家。バルビゾン派の画家と交流を持ち、風景画家となる。来日し、工部美術学校で教えた。 |
高橋由一(たかはし ゆいち) | 1828–1894年 | 日本洋画の創始者と呼ばれる。油絵を学び、画塾「天絵楼」を開いた。主な作品は『鮭』『豆腐』『花魁図』。 |
チャールズ・ワーグマン | 1832–1891年 | 『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』の特派員として来日した。高橋由一など、多くの日本人に洋画の技術を教え、日本近代洋画に影響を与える。また、漫画雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊した。 |
小林 清親(こばやし きよちか) | 1847–1915年 | 明治時代の浮世絵師。江戸から移り変わる維新後の東京の様子を版画で表現した。主な作品は『九段坂五月夜』。 |
高村光雲 | 1852–1934年 | 日本の仏師、彫刻家。西洋美術を学び、木彫に写実主義を取り入れ、衰退した木彫を復活させた。主な作品は『老猿』。 |
コンドル | 1852–1920年 | イギリスの建築家。鹿鳴館の設計を担当した。 |
辰野金吾 | 1854–1919年 | 日本の建築家。設計の頑丈さから「辰野堅固」と呼ばれた。ルネサンス様式である日本銀行本店を設計した。 |
岡倉天心 | 1863–1913年 | 日本の思想家、文人。東京美術学校の事実上の初代校長を務め、副校長はフェノロサが務めた。また、フェノロサの美術品収集を手伝った。 |
黒田清輝 | 1866–1924年 | 日本の洋画家、政治家。印象派の影響を取り入れた外光派と呼ばれる作風を確立。また、久米桂一郎と白馬会を発足させた。主な作品は『舞妓』。 |
横山大観 | 1868–1958年 | 近代日本画壇の巨匠。線描を抑えた独特の没線描法「朦朧体」を確立。朦朧体は、明瞭な輪郭をもたないなど理解されず、評論家からは酷評されて付けられた呼称。主な作品は『生々流転』。 |
菱田春草 | 1874–1911年 | 明治期の日本画家。日本美術院で横山大観、下村観山とともに岡倉天心(覚三)のもとで日本画を研究。明治期の日本画の革新に貢献した。 |
青木繁 | 1882–1911年 | 日本の洋画家。明治浪漫主義の代表的作家。東京美術学校で、黒田清輝から指導を受けた。主な作品は『海の幸』。 |
竹久夢二 | 1884–1934年 | 日本の画家・詩人。美人画を多く残し、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた。 |
岸田劉生 | 1891–1929年 | 大正から昭和初期の洋画家。黒田清輝に師事した。1912年にヒュウザン会を結成。主な作品は『麗子肖像』で、娘の麗子をモデルとした作品を多く残す。 |
高村光太郎 | 1883–1956年 | 日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。芸術の自由を宣言した評論である「緑色の太陽」は、日本におけるフォーヴィスム宣言ともいえる論文。 |
藤田嗣治(レオナール・フジタ) | 1886–1968年 | 日本生まれで、エコール・ド・パリの代表的な画家。「乳白色の肌」と呼ばれる裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びた。戦時中は『アッツ島玉砕』などの戦争画を描いた。 |
村上華岳 | 1888–1939年 | 大正~昭和期の日本画家。京都の日本画家と国画創作協会を設立した。 |
柳宗悦 | 1889–1961年 | 民藝運動の主唱者、美術評論家、宗教哲学者。「民藝(民衆的工藝)」という言葉を作った。 |
恩地孝四郎 | 1891-1955年 | 創作版画の先駆者のひとりであり、日本の抽象絵画の創始者。『月映(つくはえ)』創刊メンバーの1人。 |
速水御舟(はやみ ぎょしゅう) | 1894-1935年 | 院展を代表する画家。主な作品は『炎舞』。 |
佐伯祐三 | 1898–1928年 | 大正・昭和初期の洋画家。パリでの友人である前田寛治、里見勝蔵、小島善太郎らと「1930年協会(独立美術協会)」を結成した。 |
神原泰(かんばら たい) | 1898–1997年 | 当初詩人として活動するが、絵画へ展開し1917年に二科展に出品。未来派に傾倒する。後に独立して美術団体「アクション」を結成。 |
梅原龍三郎 | 1888–1986年 | 日本の洋画家の重鎮。ヨーロッパで学んだ油彩画に、日本の伝統的な美術を取り入れ、日本の洋画の発展に大きな影響を与えた。主な作品は『紫禁城』。 |
丸木位里 丸木俊 | 1901–1995年 1912–2000年 | 夫婦で自らの戦争体験から連作『原爆の図』を描いた。 |
北脇昇 | 1901–1951年 | 日本のシュルレアリスムの画家。色彩豊かな幻想性の強い写実的作品が多い。主な作品は『クォ・ヴァディス』 |
坂倉準三 | 1901–1969年 | 日本の建築家。ル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築を実践。主な作品は『神奈川県立近代美術館(鎌倉館)』 |
斎藤義重 | 1904–2001年 | 現代美術家。ロシア未来派から刺激を受けた。絵画と彫刻の垣根を超えた表現を追求。海外からも注目されミシェル・タピエは斎藤の作品を「私にとって新しい発見」と評価した。 |
吉原治良(よしはら じろう) | 1905–1972年 | 日本の抽象画家。1954年、兵庫で具体美術協会を結成した。 |
東山魁夷 | 1908–1999年 | 風景画の分野では国民的画家といわれた。日展を中心に活躍。主な作品は『道』。 |
土門拳 | 1909–1990年 | 日本の写真家。リアリズムにこだわった報道写真や、日本各地の古い寺院や仏像などを撮影した写真集『古寺巡礼』などの作品を残した。 |
亀倉雄策 | 1915–1997年 | グラフィックデザイナー。写真を使ったポスター作品で有名。主な作品は『《第18回オリンピック競技大会(東京)》ポスター』。 |
八木一夫 | 1918–1979年 | 陶芸家であり、現代陶芸に新分野を確立。器として機能を持たない作品を発表し「オブジェ焼」と呼ばれる。主な作品である『ザムザ氏の散歩』も「オブジェ焼」の作品。 |
河原温(かわら おん) | 1932–2014年 | コンセプチュアル・アートの第一人者。主な作品である『日付絵画』は、1966年から亡くなるまで続けた日付のみを描いた作品。 |
オノ・ヨーコ | 1933-存命(2022年時点) | 前衛芸術家。ビートルズのジョン・レノンと結婚した事でも有名。1960年代にはニューヨークを拠点としフルクサスのメンバーとして活躍した。 |
工藤哲巳 | 1935–1990年 | 日本の現代美術家。主な作品である『増殖性連鎖反応』は、最初に「反芸術」の語を用いられた作品であり、日本の若手美術家に反芸術ブームを起こした。 |
中西夏之 | 1935–2016年 | 日本の前衛美術・現代美術家。高松次郎・赤瀬川原平らと結成した前衛芸術グループ「ハイレッド・センター」は、お互いの苗字の頭文字から1文字とって名付けられた。 |
(リ・ウファン) | 1936-存命(2022年時点) | 韓国出身で日本を拠点に活動している美術家。「もの派」を理論的に主導した。主な作品である『関係項』は、自然の石とガラスの板を用いた「もの派」の作品。 |
横尾忠則 | 1936-存命(2022年時点) | グラフィックデザイナーとして活躍し、後に画家に転身した。主な作品は『《劇団状況劇場「ジョン・シルバー 新宿恋しや夜鳴き篇」》ポスター』 |
関根伸夫 | 1942–2019年 | 現代美術家、彫刻家。「もの派」の作品を多く発表。主な作品は『《位相-大地》』。 |
美術検定3級の西洋美術について
西洋美術については、同様に一覧形式で以下の記事にまとめました。
美術検定3級の合格体験記
実際に美術検定3級に合格した際の内容については、以下の記事にまとめました。